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6さいのばらーど

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カテゴリー「ケガ・治療」の26件の記事

2019年5月 8日 (水)

整形医院

肩関節周囲炎

2019年1月17日 (木)

あれから4か月経過

2019.01.17(木)快晴

あれは昨年9月16日(日)だった。海老名のクライミングジム/レッジでのことだった。お昼ごろ仲間と二人で入店した。

 過日8月11日(土)小川山兄岩下部スラブ(P.56)のピクニクラ5.10b★★★NP&B 30mの下部で体の入ったクラックから左壁に移るとき、上半身を捩った際、体が硬くて左肩を痛めてしまった。このルートはこのエリアでは内容がぎっしり詰まった好ルートだと思っている。
 しばらく整形医院に通ってみたが、あまりに緩いリハビリだったため通院を止めてしまった。

 3月に白内障手術でその後数ヵ月ほどトレーニング不足が続いた。その間5月にお誘いを受け韓国仁寿峰(インスボン)に行った。そのときトレーニング不足を痛切に感じた。なかでも柔軟性不足と上半身のパワー不足。これが登り込み不足とともに脳内出血の前哨要因として思えてならない。

 9月16日の当日、アップ2本めとして前傾壁5.10aに取り付いて3ピンめを取るときに違和感を感じた。そしていったん降りることにした。力が入りにくかったと憶えている。前傾5.10aではホールドはガバなので登る分には問題ないが、体の動きが悪くなり(柔軟性が不足)登り込み不足だった。この年代になるとトレーニングの中断(不十分さも含めて)はとても問題だ。後退してしまうのだ。

【概 要】 発症から入院・退院までの概要を9月下旬のブログにその経過を書いたが、この時の記述をもとに振り返ってみた。

●いつ・・・9月16日(日)午後1時ころ発症した。

●どこで・・・海老名のクライミングジム「Ledge レッジ」

●だれが・・・私本人、一緒だったのは、同じ山の会のYDさん

●どのように・・・アップ後、5・10aの被り系に取り付くも2ピンを取ってから、体を引き上げるもとても重く感じて、いったん体勢を整えようと降りたところ、一息後立ち上がろうとしたところ

●どうした①・・・まともに直立できない。歩こうにも全く安定せず、ギッタンバッコン、おサルさん歩きのようで、歩くどころではない。パワー自体の衰えは感じないし、痛くも痒くもなかった。アタマの思考回路や会話回路への異常も感じなかった。

●どうした②・・・ジムの受付に行き相談した。そのとき私は大ごととは思わなかった。冷静なYDさんの勧めで119番通報をすることになった。

●どうなった①・・・サイレンを鳴らした救急車(生まれて初めて乗った)で、YDさんが同乗して近くにある地域医療の基幹病院である海老名総合病院に搬送された。(13:45くらい
医師の指示により自宅に連絡して連れ合いに来るように電話した。

●どうなった②・・・対応した医師の問診のあと、直ちに検査となった。MRI→X線→CT画像診断
約1時間後の午後3時には妻とともに画像を見ながら、私は医師より診断の説明を受けた。そして直ちに5階の脳神経外科病棟に緊急入院となった。

どうなった③・・・診断の結果は、CT画像により頭部中央やや左の被殻部位(運動関与部位)に脳内出血(白いところ)を認めた。小出血であった。このため右半身に症状がでた。後遺症は程度は不明だが、リハビリをしても残る部位がでると宣告された。

●治療は・・・最初の2日間は安静


一般的な点滴(ぶどう糖ほか)とともに血圧降下剤入りの二つの点滴を受けた。

食事は最初の2食は抜き、それからお粥を2日間食べた。トイレや2日目からのリハビリやトイレなどは必ず付き添い付きで車椅子移動、夜間の排尿はナースコールをするように言われたが、尿瓶を利用した。勝手にベッドから離れることを禁じられた。2日目のCT検査で出血が止まっていることを確認。あとは降圧錠剤で血圧をコントロールのうえ、発症からの急性期(1週間)をリハビリとともに過ごした。ここの脳神経外科の医師は4名で毎朝2~3名、夕方も病棟へ病状の確認に巡回して来た。
幸い、頭の回路や会話への影響は避けられた。

●そして退院・・・さらに1週間をリハビリで過ごした。理学療法士を中心に作業療法士、言語聴覚士の3名チームで毎日親身になって担当してくれた。2週間の入院は症状のモニタリング以外はリハビリと血圧管理がすべてであった。足のしびれはなくなったが、右手のしびれは残った。そしてぎこちないが、なんとか歩けるようになった。病院のリハビリ部門の有難さが骨にしみ、担当の方には頭が下がる思いがした。

14日目には退院となった。あとは自助努力で現場復帰?しなければならない。
とても快適な緊急入院であった。

〇思い当たるふし・・・考えてみれば確かにあった。
前述の発症前半年間の今までにないトレーニング不足にあったと思っている。
通常昼間の血圧は正常の範囲(130前後・80前後)であった。

【脳卒中発症の背景】・・・脳出血と脳梗塞をまとめて脳卒中という。
〇遺伝・・・母の父親、その父も脳卒中、母もクモ膜下出血。父親は甲状腺ガンで亡くなっているが、遺伝的には脳卒中家系と云える。

〇生活習慣・・・在職中はストレスもあり、喫煙、飲酒習慣があった。毎夜の遅い帰宅そして狭心症の発作を
40代前半と59歳のとき2回経験した。1回目のときはそれが狭心症とは気が付かなかった。1回目のときは数分で痛みが消え、狭心症とは分からず病院にも行かないでそのままにした。40代~50代前半のサラリーマン生活は生活習慣としてはいま思うと最悪であったと思う。健康への自信は過信なほどヒト一倍あった。59歳のときの狭心症治療で担当医師から喫煙が治療に差し支えるので禁煙を勧められ、これは大阪の勤務先近くの内科医の禁煙治療が成功したが、禁酒(節酒)までは取り組まなかった。2ヵ月後にはインドヒマラヤの登山に出掛けた。

〇トレーニング不足・・・60歳後半の体力後退は考えていた以上のものがあった。それなりのトレーニング方法を確立して実行していなければならなかった。

〇高所登山・・・2010年からインドヒマラヤへの6000m峰に連続3回、2012年のデナリ、2017年エヴェレスト街道からアマダブラム、2017年西ネパール6000m峰など。2010年に5000m直下のハイキャンプや2017年のアマダブラムで、その内容こそ違うが高所障害を経験した。

【現在の回復状況】 発症後4ヵ月を経過して

〇いま主に取り組んでいること

 ①近隣のスポーツクラブでメニューを組んでもらい、
月8回利用の平日会員で通っている。
 ②近所の整骨院に週2回ペースで通っている。電気刺激とマッサージが中心。右肩は回復した。
 ③手の痺れ改善のため、手の専門医にかかっている。肩のリハビリもお願いした。手先の作業性回復の状況は不満である。脳出血・障害からきている痺れなので回復は難しい。
 ④体のバランス改善のため、丹沢の山小屋に行っている。歩きがいい。とても重要だと思っている。


〇どのくらい回復したか

主観で云えば85%くらいであろうか。右足のダメージがそのくらいであろうか。右肩の回復はよい。右手の痺れは医師は電気刺激のスピード計測値から改善が進んだという評価を下している。
私自身の体力回復のトレーニングが進んでいない。
今後は出血部位の
MRI確認が3月上旬にある。

〇その他

この病気は、日頃よりリスク管理が大切なことではあるが、ビビッていては積極的な生活は送れない。わたしの周りには30代40代の若いときに脳梗塞を発症している方もいる。昨年8月と10月に同年代の会員が脳梗塞を発症して。私の脳内出血は9月。症状はそれぞれ異なる。100%回復は望めないと思う。しかしそれを受け入れ、いくらかでも積極的な生活を送りたいと思っている。

2018年10月28日 (日)

脳内出血その後

2018.10.28(日)

9月16日入院➡9月29日退院、退院後早くも1ヵ月経過。
リハビリ病院への転院のすすめはなかった。生活上の問題はないと判断されたのだろう。

脳神経による後遺障害としては、右半身にでて右手特に手に痺れが残り指先の作業がやや鈍くなっている。肩の可動域の狭まりも感じている。起床時、歩行時の左右のバランスの悪さも感じている。
スポーツジムと整骨院に週2回、病院のリハビリ室で指導を受けた体の動きを自宅でやっている。自転車乗りと車の運転は退院後ずっとやっている。
100%回復はない。体が硬くなっていると実感。前屈、腰の左右への曲がりと肩の可動域改善が当面の課題。
足腰の強化回復は山歩きが一番と思う。減量も課題。冬山での低温時どういう障害がでるかはまだ不明。これから3カ月先を考えてリハビリに取り組んでゆく。
右手については手の専門医に近日相談することにする。手の専門医は少ない。
海老名の病院には11/13にリハビリ進捗チェックに行く。来年3月にMRI画像で出血部位の確認をすることになっている。

当面の管理は血圧である。日中の血圧は正常である。ただし狭心症がでたときに禁煙には成功したものの、生活習慣はよいとは言えない。

2018年10月 1日 (月)

海老名にて 緊急入院そして退院 Ⅱ

入院期間は9月16日(日)から29日(土)までの足かけ2週間

入院病棟は西館5階で西側にある6人部屋、丹沢大山を正面にみる窓側のベッド

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高架は小田急線、その先には圏央道、正面の山は丹沢山塊。

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病院の周囲は、田んぼ。海老名駅は相模鉄道との乗り換え駅だが、40~50年前までは駅周辺には水田が広がっていた長閑なところだった。

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病院の駐車場

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9月23日、中秋の名月

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箱根の山々も眺められた。

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朝の丹沢大山

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入院病棟、リハビリ、救急などの棟の玄関

2018年9月29日 (土)

海老名にて、緊急入院そして退院 Ⅰ

2018.09.29(土)曇りのち小雨、台風24号接近

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これは退院のときに撮った。この病院(海老名総合病院)には24時間、救急車がひっきりなしに救急患者が運び込まれている。

●いつ・・・9月16日(日曜)、午後1時くらい

●どこで・・・海老名市のクライミングジム「Ledge レッジ」にて

●だれが・・・私本人、一緒だったのは、同じ山の会のYDさん

●どのように・・・アップ後、5・10aの被り系に取り付くも2ピンを取ってから、体を引き上げるもとても重く感じて、いったん体勢を整えようと降りたところ

●どうした①・・・まともに直立できない歩こうにも全く安定せず、ギッタンバッコン、歩くどころではない。パワー自体の衰えは感じない。痛くも痒くもない。

●どうした②・・・ジムの受付に行き相談した。そのとき私は大ごととは思わなかった。冷静なYDさんの勧めで119番通報をすることになった。

●どうなった①・・・サイレンを鳴らした救急車(生まれて初めて乗った)で、YDさんが同乗して近くにある地域医療の基幹病院である海老名総合病院に搬送された。(13:45あたり
医師の指示により自宅に連絡して連れ合いに来るように電話した。

●どうなった②・・・対応した医師の問診のあと、直ちに検査となった。MRI→X線→CT画像診断
約1時間後の午後3時には妻とともに画像を見ながら医師より診断の説明を受けた。そして直ちに5階の脳神経外科病棟に緊急入院となった。

どうなった③・・・診断の結果は、CT画像により頭部中央やや左の被殻部位(運動関与部位)に脳内出血を認めた。小出血であった。このため右半身に症状がでた。後遺症はリハビリをしても残る部位がでると宣告された。

●治療は・・・最初の2日間は安

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一般的な点滴(ぶどう糖ほか)とともに血圧降下剤入りの二つの点滴を受けた。

食事は最初の2食は抜き、それからお粥を2日間食べた。トイレや2日目からのリハビリやトイレなどは付き添い付きで車椅子移動、夜間の排尿はナースコールをするように言われたが、尿瓶を利用した。勝手にベッドから離れることを禁じられた。2日目のCT検査で出血が止まっていることを確認。あとは錠剤で血圧をコントロールのうえ、発症からの急性期(1週間)をリハビリととも過ごした。脳神経外科の医師は4名で毎朝2~3名で確認に来ていた。
幸い、頭の回路や会話への影響は避けられた。

●そして退院・・・さらに1週間をリハビリで過ごした。理学療法士を中心に作業療法士視覚聴覚士の3名が毎日親身になって担当してくれた。2週間の入院は症状のモニタリング以外はリハビリと血圧管理がすべてであったような気がする。足のしびれはなくなったが、右手のしびれは残った。そしてぎこちないが、なんとか歩けるようになった。病院のリハビリ部門の有難さが骨にしみた。担当の方には頭が下がる思いがした。

14日目には退院となった。あとは自助努力で現場復帰?しなければならない。

〇思い当たるふし・・・考えてみれば確かにあった。

2018年4月27日 (金)

白内障治療経過

2018.04.27(金)

経過
2017.11.17 夕方夜間での視力低下を感じ、運転免許更新に対応できるよう近所の眼科を訪れ相談し診察を受け、白内障手術による治療を勧められ、翌年の治療日程を決めた。

2018.02.25 右眼、術前指定点眼薬点眼開始(クラビット点眼薬1.5%)
2018.03.01 右眼手術、切開して濁りを除去、眼内レンズを挿入。手術自体は7~8分程度(点眼薬①ベガモックス0.5%、②リンデロン0.1%、③ブロナック0.1%)、ほかにフロモックス錠、ムコスタ錠を処方された。
        感想としては、術中に眼球をいじられるのでとても不安。
        術後専用ゴーグル着用
2018.03.02 右眼術後検査⇒異常なし①
2018.03.05 右目術後検査⇒異常なし②
2018.03.08 右眼術後検査⇒異常なし③
2018.03.09 右眼へ点眼薬変更、3種類の指定点眼薬を使用開始(1ヶ月注す)
(点眼薬①ガチロフ0.3%、②フルメトロン0.1%、③ジクロスター0.1%)


2018.03.12 左眼、術前指定点眼薬点眼開始(クラビット点眼薬1.5%) 
2018.03.15 左眼手術、切開して濁りを除去、眼内レンズを挿入。
(点眼薬①ベガモックス0.5%、②リンデロン0.1%、③ブロナック0.1%)、
ほかにフロモックス錠、ムコスタ錠を処方された。
術後専用ゴーグル着用
2018.03.16 左眼術後検査⇒異常なし① 
2018.03.19 左眼術後検査⇒異常なし② 
2018.03.22 左眼術後検査⇒異常なし③
2018.03.23 左眼へ点眼薬変更、3種類の指定点眼薬を使用開始(1ヶ月注す)
(点眼薬①ガチロフ0.3%、②フルメトロン0.1%、③ジクロスター0.1%)
2018.04.26 右・左眼術後検査⇒異常なし⇒点眼薬終了
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2018.06.26 右・左眼術後診察予定 
➡ これで治療完了とのこと

結果、
確かに視界は明るくなった。矯正視力は1.2となった。8月末の運転免許書は更新可能となった。

2016年2月 9日 (火)

脊椎辷り症…その後

2016.02.09(火)快晴 朝の外気温0℃

1.発症
 ①1/25(木)あたりから腰に違和感を感じ始めた。腰痛でもでるかなという予感がした。そんな感覚が3日ほど続いた。
 ②1/31(日)上州のアイスクライミング交流会に3名で参加した。往路の車中でこれは腰痛の始まりだと自覚した。
 ③同日大事をとって、Tr.で2回ほどでやめた。なんとも言えない痛みだ。体をねじれない。アイゼンを外すのも大儀。はまゆう山荘の温泉で腰を温めた。
 ④帰宅時助手席から降りることがなかなかできなかった。2/1(月)朝、寝床から起き上がることができず、とても暗い気持に襲われた。お尻もふけず、パンツ履くのも靴下履くのも大儀、なんとか運転して整形外科医院に行き診察してもらい、「脊椎辷り症」と診断された。
2.経過
 ①2/5まで通院して回復に努めた。
  ・治療は、水圧式マッサージベッドでマッサージ、低周波通電による、低周波ツボ刺激療法(刺さない針治療)、マッサージ
   ・投薬は痛み止め:・ロキソプロフェンナトリウム60mg(クニヒロ)+レバミピド錠100mg、経皮鎮痛消炎概要薬モーラステープL40mg(久光製薬)
 ②2/5予定通りの山行を実行できそうと判断した。
 ③2/6-7当日、腰がまだ廻らない。でもリードはしたい。初めての会員さんも含め、楽しい行事ができたと思う。
3.現在
  ・2/8治療に通院。負荷は5キロまでにすること。今月いっぱいリハビリに通うことを主治医から言い渡された。
  ・2/11にも出掛けようと思う。

【追記】
午後、親戚の入院見舞いで大船の病院に行った。

2016年1月21日 (木)

血液検査結果など

12016.01.22(木)曇り

昨日は今年初めて、綱島のクライミングジム、ビッグロックに行ってきた。

今日はどちらかというとクリニックデー。①血液検査結果を聞きに1軒目め。肝臓(アルコール)系の数値がγ-GTP=49(M.79以下が正常)GPT=28(5-45)、GOT=38(10-40)と信じられない。20年ほどγ-GTPが100以上だったのに。検査会社が試料を取り違えたか???ここのところほどほどにセーブしている。
2軒目は投薬で通っている泌尿器科で、前立腺肥大で尿が近いので薬を処方してもらっている。よく冷えるアイスクライミングのとき困ることがある。そういうときは1錠ではなく2錠飲めという。ベタニス錠を飲んでいる。

2012年2月17日 (金)

大阪にて/肩関節腱板断裂完治など

2012.02.17(金)大阪では冬型で寒気流入
診察予約は午後のため、新横浜から午前9時半過ぎの新幹線で大阪に向かった。

Img_3469
梅田ではたこ焼きと立ち飲みのお店に直行した。
Img_3471まっ先にたこ焼きが食べたかった。大阪生活は延べ17年に及んだため、私には本場の味が染みついている。関東のお店では買えない。
Img_3476
奴ではフグの湯引きと荒煮をいただいた。お造りも注文してから切ってくれるお店で安くて美味しい。そういうパフォーマンスではとてもお薦めのお店。でも前ほどの売上はないようだ。以前はお客さんをダークダックス状態にしてどんどん入れた。

Img_3478_2病院では手術後3年経過の診察。エックス線撮影と筋力測定のあと受診。順調な回復で、この日をもって完治確認となった。ただし私としては肩関節の硬さを感じてならないので、相談したところ重点的にストレッチをすることしかなく、その方法を教えてもらった。忘れていた。ここの病院・整形外科肩関節チーム専門医と関係の皆さんにはとても感謝している。右肩の関節内には腱板を繋いだチタンボルトが2本残置されている。

この日は大阪北部郊外の知人宅に泊めていただいた。寒気が入っているため夕方すでに雪が薄く積もっている。スタッドレスタイヤの装着が当たり前とのこと。
Img_3480
Photo.は翌日未明、出発時(5:30)の雪の様子。

2011年3月11日 (金)

狭心症のこと

2011.3.11 金曜
①思い当たることがあった。
40代の前半。自宅で胸が締め付けられるような痛みに襲われ、畳の上でエビ状態となり唸った。そのとき家族は無関心であった。いま思うとこれが狭心症の発作だったのだと思う。これ一回きりで数分後に治まった。決して忘れることはできない。働き盛り、毎晩夜は飲んで遅く帰宅していた。当時タバコを一日3~5箱も吸っていた。
②2010.5.29 この2日間は海外登山の高所順応を目的に富士山に行っていた。帰路、三島までのバスや大阪への新幹線の車中でビールや芋焼酎を飲んでいた。寝不足気味であった。
5/29朝(5:45)、目が覚めて5分くらいの後、数分間胸が締め付けられるような痛みに襲われた。単身赴任宅である。119番を携帯からかけようかと思った。その間苦しかったし、心細かった。その内に治まり朝風呂に入ってから職場にゆき、看護師さんに話したところ、すぐ医院に行けということで手配してくれた。
Img_1557 病院では「異型狭心症」という診断。寝起きなど安静時の発作が特徴。発作は冠動脈の痙攣(血管が細くなり流量が減る)である。
診断の説明書⇔ 「110315.pdf」をダウンロード

タバコは治療の障害になると告げられ禁煙することにした。→成功
※チャンピックスという禁煙の薬を服用。(注)Photo参照
③6月26日から薬持参でインド北部に登山隊で入域した。幸い発作はでなかった。若い担当医師が丁寧に指導してくれた。高所はリスクが高まりますーそれでも行くのでしたら、こうしてくださいと。帰ってきてくださいねと。
Img_8208 ④軽い発作がでた。1月と2月にそれぞれ1回。いづれも前晩にお酒を飲んでいて、夜にヘルペッサーカプセルを飲み忘れた時だ。胸が痛かったり、呼吸が苦しかった症状だった。あそうかという感じでニトロを使用した。当初発作とは思わなかった。
Img_8207_2ヘルペッサーもニトロも手元に置かねばならない生活となってしまった。私の周りには心臓関係を患った方が多い。
⑤起きぬけは要注意かもしれないが、体作りのトレーニングは続ける。昨年末の検診時に医師はオーケーを出してくれていた。
7月出発を考えている。検討しているのは、インド北部ザンスカール地方、レルー谷の6000m級未踏峰。