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6さいのばらーど

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2019年1月17日 (木)

あれから4か月経過

2019.01.17(木)快晴

あれは昨年9月16日(日)だった。海老名のクライミングジム/レッジでのことだった。お昼ごろ仲間と二人で入店した。

 過日8月11日(土)小川山兄岩下部スラブ(P.56)のピクニクラ5.10b★★★NP&B 30mの下部で体の入ったクラックから左壁に移るとき、上半身を捩った際、体が硬くて左肩を痛めてしまった。このルートはこのエリアでは内容がぎっしり詰まった好ルートだと思っている。
 しばらく整形医院に通ってみたが、あまりに緩いリハビリだったため通院を止めてしまった。

 3月に白内障手術でその後数ヵ月ほどトレーニング不足が続いた。その間5月にお誘いを受け韓国仁寿峰(インスボン)に行った。そのときトレーニング不足を痛切に感じた。なかでも柔軟性不足と上半身のパワー不足。これが登り込み不足とともに脳内出血の前哨要因として思えてならない。

 9月16日の当日、アップ2本めとして前傾壁5.10aに取り付いて3ピンめを取るときに違和感を感じた。そしていったん降りることにした。力が入りにくかったと憶えている。前傾5.10aではホールドはガバなので登る分には問題ないが、体の動きが悪くなり(柔軟性が不足)登り込み不足だった。この年代になるとトレーニングの中断(不十分さも含めて)はとても問題だ。後退してしまうのだ。

【概 要】 発症から入院・退院までの概要を9月下旬のブログにその経過を書いたが、この時の記述をもとに振り返ってみた。

●いつ・・・9月16日(日)午後1時ころ発症した。

●どこで・・・海老名のクライミングジム「Ledge レッジ」

●だれが・・・私本人、一緒だったのは、同じ山の会のYDさん

●どのように・・・アップ後、5・10aの被り系に取り付くも2ピンを取ってから、体を引き上げるもとても重く感じて、いったん体勢を整えようと降りたところ、一息後立ち上がろうとしたところ

●どうした①・・・まともに直立できない。歩こうにも全く安定せず、ギッタンバッコン、おサルさん歩きのようで、歩くどころではない。パワー自体の衰えは感じないし、痛くも痒くもなかった。アタマの思考回路や会話回路への異常も感じなかった。

●どうした②・・・ジムの受付に行き相談した。そのとき私は大ごととは思わなかった。冷静なYDさんの勧めで119番通報をすることになった。

●どうなった①・・・サイレンを鳴らした救急車(生まれて初めて乗った)で、YDさんが同乗して近くにある地域医療の基幹病院である海老名総合病院に搬送された。(13:45くらい
医師の指示により自宅に連絡して連れ合いに来るように電話した。

●どうなった②・・・対応した医師の問診のあと、直ちに検査となった。MRI→X線→CT画像診断
約1時間後の午後3時には妻とともに画像を見ながら、私は医師より診断の説明を受けた。そして直ちに5階の脳神経外科病棟に緊急入院となった。

どうなった③・・・診断の結果は、CT画像により頭部中央やや左の被殻部位(運動関与部位)に脳内出血(白いところ)を認めた。小出血であった。このため右半身に症状がでた。後遺症は程度は不明だが、リハビリをしても残る部位がでると宣告された。

●治療は・・・最初の2日間は安静


一般的な点滴(ぶどう糖ほか)とともに血圧降下剤入りの二つの点滴を受けた。

食事は最初の2食は抜き、それからお粥を2日間食べた。トイレや2日目からのリハビリやトイレなどは必ず付き添い付きで車椅子移動、夜間の排尿はナースコールをするように言われたが、尿瓶を利用した。勝手にベッドから離れることを禁じられた。2日目のCT検査で出血が止まっていることを確認。あとは降圧錠剤で血圧をコントロールのうえ、発症からの急性期(1週間)をリハビリとともに過ごした。ここの脳神経外科の医師は4名で毎朝2~3名、夕方も病棟へ病状の確認に巡回して来た。
幸い、頭の回路や会話への影響は避けられた。

●そして退院・・・さらに1週間をリハビリで過ごした。理学療法士を中心に作業療法士、言語聴覚士の3名チームで毎日親身になって担当してくれた。2週間の入院は症状のモニタリング以外はリハビリと血圧管理がすべてであった。足のしびれはなくなったが、右手のしびれは残った。そしてぎこちないが、なんとか歩けるようになった。病院のリハビリ部門の有難さが骨にしみ、担当の方には頭が下がる思いがした。

14日目には退院となった。あとは自助努力で現場復帰?しなければならない。
とても快適な緊急入院であった。

〇思い当たるふし・・・考えてみれば確かにあった。
前述の発症前半年間の今までにないトレーニング不足にあったと思っている。
通常昼間の血圧は正常の範囲(130前後・80前後)であった。

【脳卒中発症の背景】・・・脳出血と脳梗塞をまとめて脳卒中という。
〇遺伝・・・母の父親、その父も脳卒中、母もクモ膜下出血。父親は甲状腺ガンで亡くなっているが、遺伝的には脳卒中家系と云える。

〇生活習慣・・・在職中はストレスもあり、喫煙、飲酒習慣があった。毎夜の遅い帰宅そして狭心症の発作を
40代前半と59歳のとき2回経験した。1回目のときはそれが狭心症とは気が付かなかった。1回目のときは数分で痛みが消え、狭心症とは分からず病院にも行かないでそのままにした。40代~50代前半のサラリーマン生活は生活習慣としてはいま思うと最悪であったと思う。健康への自信は過信なほどヒト一倍あった。59歳のときの狭心症治療で担当医師から喫煙が治療に差し支えるので禁煙を勧められ、これは大阪の勤務先近くの内科医の禁煙治療が成功したが、禁酒(節酒)までは取り組まなかった。2ヵ月後にはインドヒマラヤの登山に出掛けた。

〇トレーニング不足・・・60歳後半の体力後退は考えていた以上のものがあった。それなりのトレーニング方法を確立して実行していなければならなかった。

〇高所登山・・・2010年からインドヒマラヤへの6000m峰に連続3回、2012年のデナリ、2017年エヴェレスト街道からアマダブラム、2017年西ネパール6000m峰など。2010年に5000m直下のハイキャンプや2017年のアマダブラムで、その内容こそ違うが高所障害を経験した。

【現在の回復状況】 発症後4ヵ月を経過して

〇いま主に取り組んでいること

 ①近隣のスポーツクラブでメニューを組んでもらい、
月8回利用の平日会員で通っている。
 ②近所の整骨院に週2回ペースで通っている。電気刺激とマッサージが中心。右肩は回復した。
 ③手の痺れ改善のため、手の専門医にかかっている。肩のリハビリもお願いした。手先の作業性回復の状況は不満である。脳出血・障害からきている痺れなので回復は難しい。
 ④体のバランス改善のため、丹沢の山小屋に行っている。歩きがいい。とても重要だと思っている。


〇どのくらい回復したか

主観で云えば85%くらいであろうか。右足のダメージがそのくらいであろうか。右肩の回復はよい。右手の痺れは医師は電気刺激のスピード計測値から改善が進んだという評価を下している。
私自身の体力回復のトレーニングが進んでいない。
今後は出血部位の
MRI確認が3月上旬にある。

〇その他

この病気は、日頃よりリスク管理が大切なことではあるが、ビビッていては積極的な生活は送れない。わたしの周りには30代40代の若いときに脳梗塞を発症している方もいる。昨年8月と10月に同年代の会員が脳梗塞を発症して。私の脳内出血は9月。症状はそれぞれ異なる。100%回復は望めないと思う。しかしそれを受け入れ、いくらかでも積極的な生活を送りたいと思っている。

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