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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

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2017年11月

2017年11月22日 (水)

11月22日(水)のこと、夕方、雪崩教育シンポ

2017.11.22(水)曇り、夕方より小雨

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私はアイゼンの練習に広沢寺に行った。シーズン前のアイゼン感覚の確認が目的。平日のこの日5パーティのみ。グリーンのヘルメットはガイドのH科氏、初心者への講習をしていた。

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対岸の岩場

夕方、JR飯田橋へ向かった。労山全国連盟事務所会議室で「雪崩教育 シンポジウム」が19:00から開催された。なぜか受付に大阪労山のMura Junが座っていた。

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労山関係者だけでなく、雪崩教育関係団体の参加もみられた。Networkを広げ連携してゆくのはとてもいいことだ。それだけ雪崩教育の普及が、栃木県高体連の事故を契機に改めてクローズアップされている。

【事故事例報告】 2013.11.23 北ア立山 真砂岳大走り尾根での山スキー
2名が誘発、典型的な面発生の雪崩、前日までに1mの積雪があった。埋没した一人が亡くなったという。

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雷鳥沢の幕営地に泊まって、雪上訓練と山スキーで行ったことがある。11月後半の連休で新雪を求めて人は集中する。黒部立山アルペンルートや山荘も閉鎖に入る時期で、特に山荘の営業最終日は飲み放題食べ放題となろう。この時期、天候に恵まれれば中止するものは極めて限られよう。
雪上訓練中、上からボーダーがバンバンと滑り下りてきた。

気象、雪質、地形から経験と最新知識を背景に総合判断してGo or Stopを判断する。限られた休日、果たしてBackを決断できるのは極めて難しいという現実がある。

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積雪期の常識では谷を下らない。一定の積雪があれば雪崩れる危険性がある。どうしても下るか横断しなければならないならば、監視する者を置き、一人づつ間隔をあけて下らせる。そういうことができないパーティは入る資格はない。

10年も前のときここは好天の中、左の尾根をシール登高した。

【事故事例報告】 2017.3.27 発生時刻0830-0845 栃木県高体連 那須雪崩事故

栃木県の真岡高校山岳部パーティは、春に古賀志の岩場に行ったとき、キャンプ場で何回かご一緒したことがある。痛ましいというしかない。高体連行事は指導者の技量と経験が不足して大パーテイの行事を運営する力量がなかった。結果論でもある。なかにはこの事故は犯罪に値するという人もいる。安全確保を最優先にしっかり予算を組み、プロの人材を活用することも考えてもいい時代だと思う。教師の昨今の業務負担増対処も考えるべきだろう。
事なかれ的・短絡的に制限するのではなく、生徒さんの野外活動の促進を十分に尊重してほしいと思う。

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2017年11月21日 (火)

上野の森美術館「怖い絵展」

2017.11.21(火)快晴

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駅に向かう途中で見かけた皇帝ダリア。昨年11月のネパール、アマ・ダブラム6856mをその肩であっさり諦めたエベレスト街道の帰途、ルクラに近い集落で見かけたことがある。花はうすピンクのいい色、竹のような茎とのミスマッチが特徴。今年ご近所で節目をもらい鉢に植えてみたが、茎の節目から葉はでたものの、その後の生育には失敗した。

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上野の森、ここで入場の列に並んだ

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待ちに待ってやってきた。最後尾には入場まで70分というプラカードが掲示されていた。

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説明用レシーバーを受け取ってから展示室に入った。

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2時間たっぷり鑑賞できた。午後4時退館した。入館まで60分待ちだそうだ。
隅田川の向こうに位置する押上の東京スカイツリー634mがよく見えた。

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久しぶりにアメ横に寄ってみた。買い物なし

【付記】
 当展示会のメイン展示の絵画

・作  者:ポール・ドラローシュ Paul Delaroche
・作品名:レディ・ジェーン・グレイの処刑 The Execution of Lady Jane Grey
・制作年:1833年
・技法材質:油彩・カンヴァス Oil on canvas
・所  属:ロンドン・ナショナル・ギャラリー The National Gallery London

2017年11月20日 (月)

横浜中華街

2017.11.20(月)

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中華街大通り

10/16-11/2 本日夕方、ネパール アンナプルナ内院トレッキングの関係メンバーと横浜中華街に集合した。反省会みたいなものだ。

アレンジでお世話になった日本在住のネパール人女性Miss MTさんも遅れてやってきた。ネパールの一般事情だけでなく、いろんな質問にも答えてくれた。お金に関すること、他で聞いたことがあるが、「大まかに言ってネパールルピーの10倍が日本人の考える価値に相当すると考えていいですよ。500ルピー(邦貨換算550円)が5000円相当」とアドバイスしてくれた。
誠実なお人柄が伝わってくる方だと思っている。

入ったお店は有名高級店ではなく、中山通りから路地に入ったお店は「新錦江」、月曜のため空いていた。
いろいろ反省したことを噛みしめて耳を傾けた。ゆっくりできた。あっという間に3時間も経過してしまった。
帰宅は23時となった。

2017年11月19日 (日)

西丹沢 公開読図講習会

2017.11.19(日)快晴

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① 安全登山とコンパスの使い方について座学

② 実技の読図講習会で採用したコースは、西丹沢ビジターセンター➡西沢(650m)➡塩地窪沢の頭➡用木沢出合➡西丹沢ビジターセンターの周回コース。コンパクトな半日の地図読みコースとして、コンパスを使い地形図を読み取る講習会向き。

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下ノ権現沢の対面の急登の尾根から取り付く。標高910m付近で平坦地がありここで昼食。

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屈曲部を確認しながら塩地窪沢ノ頭1033mに達した

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用木沢出合いの林道に着地して完了

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センター前に集合

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山の会の会員さん10名、公募で参加されたみなさん14名が参加した

2017年11月18日 (土)

テレビで話題となったあったか食品自販機コーナー

2017.11.18(土)小雨のち曇り

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なぜかおみくじ自販機まであった

近くに相模原市立博物館があるので廻ってみた。時々企画展示を行っている。

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エントランスには、「HAYABUSA」の現物大模型が展示されていた。

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市立博物館にくるといつもここの前に立つ。HAYABUSA運用チームの色紙だ。
P.M.川口淳一郎さん、黒谷明美さん、まとかわやすのりさん、津田雄一さん、大月祥子さん、長谷川晃子さん、なかなかいいです。

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昭和の香りがプンプンしてくる。

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ここの学芸員さん、頑張っていると思う。

2017年11月15日 (水)

1936年インドヒマラヤ ナンダ・コート6867m初登頂

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ヒマラヤ初登頂―1936年のナンダ・コート(1986年11月10日 初版第1刷発行 筑摩書房)

著者 堀田弥一(明治42年 富山県生まれ)
昭和 7年 立教大学卒業
昭和11年 ナンダ・コート初登頂 ※この1936年の2月に2・26事件が起きた。
昭和29年 マナスル第二次登山隊隊長をつとめる。

カバーの写真はインド ガルワールヒマラヤの美しい双耳峰、ナンダ・デビィだと思う。

この本によると主峰の西峰7816mの初登頂は1936年8月29日、ナンダコートの登頂に先立つこと37日、ティルマンを含む英米混成隊が成功した。
東峰7434mは1939年、ポーランド隊により初登頂されたが、彼らが帰国した時、ドイツの電撃的侵略により故国がなくなったという悲報に接することになった。

1976年に日印合同隊による初縦走が成功した。ここときのメンバーは以下のとおり。
隊長=鹿野勝彦、マネージャー=梶正彦、隊員=長谷川良典、小原俊、重廣恒夫、寺本正史、加藤保夫、小林政志、伊丹紹泰、桐生恒治、磯野剛太、関章司、丸尾祐治、高見和成
インド側隊員=J・シン」以下6名

戦前の学生登山界の一端をかいま見ることができる。

ナンダ・デビィも候補のひとつだったという。

貴重な1冊だと思っている。

【追記】
12/16にBS11の特別番組で3回目の立教大学隊が秋に行ったそうで、その模様が放映されるそうだ。当時のフィルムをデジタル化した映像がみられそうだ。20:00~

2017年11月12日 (日)

丹沢 大山南尾根ボッカ

2017.11.12(日)午前中快晴

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午前7時半、伊勢原駅前広場に集合、8時出発。参加者数はここ数年の新記録となった。山の会の会員さん17名、お子さん3名、若い女性2名の計22名。ここで計量、男性25k女性20kを基準に体調や年齢など考え調整可。私は15.5kとした。KNさんは20k、YDさん・SYさんは25kなど。
蓑毛分岐で昼食、予定どおり午後2時、約6時間で頂上に着いた。

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後列第3列の左から二人目のキャップを被った女性、40代半ばでお孫さんもいるヤングババさんは、20kを余裕をもって歩いていた。
午後3時近くになるとさすがにハイカーは減ってきた。

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大なべ2つ、ご褒美のキノコと里芋などが入った味噌汁が用意された。薬味のネギとユズがうれしい。

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下山後は伊勢原駅近くの「まゆ」で打ち上げとなった。
ここのスペースを占有できた。ザックはご覧のとおりコーナーに積み上げた。
最後まで子どもたちが一緒で大喜びだった。

「 まゆ」の紹介、知る人ぞ知る、デカ盛りで有名なお店らしい。 ⇒       http://eityun.jugem.jp/?eid=681

2017年11月10日 (金)

西北ネパール登山隊(2017.8.4~9.27)の会計のこと

2017.11.10(金)曇り時々晴れ

 2017.8.4~9/27まで行っていた。誰も手を挙げなかったので私が引き受けることとなった。ここ30年以上もお札を数えたこともなかった。元の勤務先ではそのような業務をしたことがないし簿記も知らない。700万円の予算規模で、自分たちで細かい出納も行う。クラシックな方法を採用する登山隊なので、できるだけ自分たちで業務をこなす。そうすることにより、より現地事情にも精通できる。登山隊スタッフ7名雇用、ラバ30頭確保と条件交渉など丸投げしないので、苦労はあるがコストも下げられる。今の世の中お金さえかければ代理店に丸投げもできる。しかし苦労してこその登山隊だ。その都度出金してゆく。力仕事でもある。
 ネパールルピーは10,000円が9,000ルピーに相当する。円からルピーへの両替はこんな感じで、今回ほとんど硬貨は見かけなかった。お札はとても汚れているものが多く、指にツバを付けながら多くの手アカがついたお札をカウントするのは愉快なことではない。札の種類が多く子ども銀行みたいだ。
 両替はタメルにはいっぱいある。空港では銀行の両替計算書を持っていないと1人につき1万ルピーまでしか両替してくれない(11/1の空港両替所では10,000ルピーを日本円10,000円と6US$に替えてくれた。空港のレートは悪い)。

 大規模登山隊の報告書では、現金を運び現金での支払い、その苦労が記されたものを見たことがある。資金は安全のため隊員に分散して持ってもらった。支払いは大から小まで会計の手を経て出金した。とにかく支払いの元帳にもれなく記載することを心がけた。ネパールの数字は読みにくいものがある。領収書記載の第1位は支払い時に切り捨てられるのが一般的。領収書はあるものないものいろいろ。ネパール文字は全く読めない。とにかくノートにもれなく記載すること。後からでは何がなんだかさっぱり分からなくなる。元帳となるノートと領収書は絶対に無くさないこと。失くさなかった。適度な緊張感が持続した。

 当登山隊の報告書は来年3月には印刷UPの予定。

 帰国してからの主な作業はまず、①台紙に日付け順に1件づつ整理してゆく。これはアンナプルナトレッキング出発までには完了しなかった。台紙には①支払(出金)日、②金額、③内容、④支払先、⑤摘要、⑥領収書の有無を記載、⑦領収書のあるものは台紙に貼り付ける 元帳と付け合わせしながら行う。そしてエクセルシートに整理した元帳として入力してゆく。ネパールルピー、日本円、US$別に作成した。あとは経費費目ごとにPCで計算させる。清算も並行して行い、B/K振り込みも行う。あと1件、保険会社からの入金をもって出納は締められる見込み。両替による円から見る損金は曲者でどう表現していいか分からない。誰かに教えてもらうことにする。
 入金と出金のとんでもない差額はでていないが、差異はできるだけ解明しておくに越したことはない。私の頭は千円単位でしか考えないし、概算で考える私にはとても不向きだ。途中での点検はMYさんがサポートしてくれた。とても感謝している。
 そんなわけで、次回の指名は不向きな私を避けてもらうのが隊のためだと思う。UPする報告書は、当然数字は掲載されるが、数字以外のことを報告してみたいと思っている。今月中には終えることができる。しっかり完成させたいと思っている。10/15-11/1にネパールにトレッキングに出て中断したので遅れてしまった。本日夜中に作業してはかどった。

 整理した帳票を改めてみてゆくとこの登山隊の動きがよみがえってくる。反省もできる。

 以下は抜粋した伝票。領収書のないものは元帳をもとに帰国後台紙に記載して帳票とした。以下はほんの一部である。

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 アレンジを担当してくれたボチボチトレック社打合せ時の昼食は、近くのしゃれたレストランに行く。Lasat Fridy の伝票。NRS÷0.9が大まかな邦貨換算額となる。

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 Simikot空港に空輸した登山隊荷物約1トン。これを車と人力で我々の登山基地となったチベッタンの民家に運んでもらった。メモを書いてもらった。はっきり言って言われるまま確認できないままに急ぎ出金したものもある。
 日当350または450Nルピー(500円相当)、車4,000Nルピーで計6,600Nルピー(7,300円相当)。ここには道路は通じていないのにピックアップ型の車両があった。分解して空輸して組み立てたと思う。

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 これはキャラバン中のキャンプ地のネパール語によるキャンプ代領収書。施設があるわけでもない。場所提供代という感じ。現地では貴重な現金収入となる。ネパール語のものは全く理解できない。隊員7名、スタッフ7名、カチャルドライバー9名、カチャル30頭がサリ・コーラに泊まった。2500Nルピー(2,800円相当)

【関連追記】
西北ネパールのSimikotで基地にした民家では、8月上旬、何の虫か分からないが、お腹周辺と太もも内側を食われた。ずっと痒みがあった。ブヨに食われたときの痒みに似ていた。ステロイド剤のリンデロンVG軟膏を使用していたが、痒みがなかなかとれず復活してくる。いまだに内ももは痒みが戻ってくる。
帰国後、皮膚科医院でダイヤコートとリンデロンを処方してもらっている。

2017年11月 5日 (日)

信州の川上村 岩根山荘にて

2017.11.05(日)快晴

11/3 午後3時すぎに淵野辺のストーンマジックで同乗する3人をピックアップ、都合により甲府盆地一宮御坂ICで降り、24時間温泉のカイセンに泊まることになった。

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11/4 早朝出発、7時半には川上村の岩根山荘に到着。受付を済ませ、労山全国連盟主催の行事に参加。

岩根山荘ではジムを会場にして、午前中は登り返し競技、午後には各地域連盟のセルフレスキューデモが行われた。大阪チームは無駄がなく実用的、そして兵庫のペアはオーソドックスで分かりやすかったと思う。
夕方は現役医師二人による講習会、夜は交流会となった。

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11/5 事情により早帰り。近隣は紅葉真っ盛り。川上村では山間部一面のカラマツの黄葉がとても美しかった。
帰路、渋滞がほとんどなく正午前にはJR古淵駅に着いた。 

【追記】
9/27に西ネパールから戻り、10/15に再びネパールに出てしまい、11/2朝帰国してやはり疲れが残っていた。
8-9月の西ネパールの残務が結構残っており今月は忙しい。いつの間にか秋が深まった。

2017年11月 2日 (木)

成田帰国 Ⅱ

2017.11.02(木)

11/1 13:15KTMからTG320⇒18:30BKK:22:30BKK、TG640から
11/2 ⇒NRT6:15到着、7:55発の町田行きバスに乗車
午前10時すぎには自宅に戻った。今回は遺失物はなし(前回8/8NPGJへのバス移動中にスマホを失くした)。事故もなし。

※10/28 大阪の山の会KKRのHTさんとカトマンズの宿で突然ニアミスしそうになった。結果、残念ながらすれ違いとなった。
※11/03 11/4-5信州川上村、岩根山荘で全国連盟の行事があり、11/3夕方から出かける。

カトマンズ盆地の古都バクタプル

2017.11.02(木)

10/31は昨年に続いて気に入っている古都パクタプルBhaktapurを訪れた。ローカルバスで行った。

バクタプルのバス停でここにお住まいの旅行ガイドのMrs.Kalpanaさんと落ち合い、この古都を案内してもらった。

カトマンズの東南東15kmにある盆地第3の都市、かつてここはチベットとインドとの交易基地であり、商人たちはここで出入国税を納めた。物資と文化の交流拠点であった。17世紀にはすでに9kmにおよぶ下水道システムを備え高い文化水準を誇ったという。しかし、ゴルカ王国の盆地支配とともに政治や経済の中心はカトマンズに移り、自由交易となったため税も入らず町は衰退の道をたどった。
工芸美術品の街パタンに比べ、ここは焼き物や織物など実用品を多く生産する街だ。濃厚な中世的雰囲気を感じることができる。
(山渓社、「カトマンドゥを歩く」より)


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ここはヒンズーの色彩が強い街、ヒンズー教寺院、

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これは東南アジア仏教系の施設、子どもたちがたくさんいた。ここで共同生活して学びながら修行している。

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カトマンズの中学生たちが見学にきていた。旧王宮エリア
この建物の2階がレストランになっていた。昼食で利用した。TEMPLE VIEWRE STAURANT

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1427年に建造された旧王宮エリアの宮殿 「55窓の宮殿」

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ダッタトラヤ寺院の南側に隣接する建物、Pujari Mathでかつての僧院。1枚の木板から彫り上げた精巧なつくりの透かし彫り。「孔雀彫りの窓」 1793年に建てられた。

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帰国➡11/1タイ航空KTM13:55⇒BKK経由⇒11/2NRT6:15

【追記】
バクタプルBHAKTAPURのここの歴史保存地区の見学には保存協力金として、外国人はRS.1500(邦貨換算1,660円相当)を納める必要がある。その際、日本語版のパンフが配られる。以下にバクタプルを紹介しているその序文を引用(直訳みたいな原文のまま)してみた。

バクタプルは地方のネワール言語のKhwopaとして知られています。ネパールの文化的首都であるバクタプルの歴史は8世紀前半に遡ります。それは12世紀から15世紀末まで全ネパールの首都でした。18世紀前半までの間、先祖は主権国を城壁と多くの城門で囲み、都市を保護しました。飛ぶハトのような形をした都市は、海抜1401mに位置し、面積は6.88平方kmに広がります。バクタプルには約10万人が住み、その大部分は農業に従事しています。その他には、ビジネスマン、手工芸職人および公務員がいます。Juju(ヨーグルト)、Bhadgaule Top(黒い帽子)、Haku Patasi(赤い縁取りの黒いサリー)、陶器および手工芸品は、この街と同様にそれらの独自性で有名です。住民の大半はヒンズー教徒や仏教徒です。それは街に人々を結びつける宗教的な調和です。それらすべての祭りと文化活動は、十分かつ平等な熱意で挙行されています。

北部と南部の神話哲学、歴史芸術、建築、そして文化を融合したもの、それが前世紀から継承したバクタプルの遺産です。PagodaとSikhar様式寺院、ViharsとBahis(伝統的な仏教の寺院)、Lonha Hiti(石の噴水)、池、Pati、MathとSattal(公共避難所)、仏舎利塔、城門、陶器寺院、Dyochhens(ヒンズー教の神の住居)、Jarahns(伝統的な水タンク)、宮殿、芸術的民家や文化的・歴史的遺産は、古代都市の主要な遺跡です。これらの良く保存された遺産の重要性が認められ、バクタプルのDurbar広場は、西暦1979年に世界遺産に登録されました。

すべての賞および成功の信用は、この半世紀こに暮らしてきた人々、街の代表者、すべての関係者に与えられます。すべての訪問者は、数ステップごとに街の上品な芸術、建築および遺産に驚くでしょう。そしてその訪問は、この威厳ある街を再訪することを静かに求める一生の経験になるでしょう。この驚くべき都市は、世紀の古く素晴らしい芸術、建築および遺産をあなたに提供すえうだけでなく、様々なレストラン、ホテル、ホームステイ、そしてそれぞれの骨董品店において、その個性ある東洋のおもてなし、美味しいネワール料理、豪華な設備、良く修行されたネワール人による忘れがたい手工芸記念品をあなたに提供します。

バクタプルはネワール文化の活気ある深淵さを示す”生きた遺産”であり、”生きた博物館”です。ネワール地域の大きな祭り、彼らの生活様式、儀式、Daffas(祈祈祷団)、とGuthisと伝統舞踊団は、街の無形遺産に命を吹き込んでいます。Bisket Jatra(4月中旬
)、Gai Jatra(8月)、Dashain and Tihar(10月か11月)が観光できる主な祭りです。街を訪問して参拝、舞踊、音楽、儀式、伝統的なネワール衣装と生活様式を経験する間に誰もが、DaffasやBhajans(賛歌)のような文化活動を体験することができます。
これら生きた遺産は世代から世代へと切れ目のない鎖で何世紀もの間受け継がれて来ました。バクタプルの壮大なネワール遺産は全人類の文明の誇りです。

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