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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

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2015年10月

2015年10月31日 (土)

10/31 台北のジム

2015年10月30日 (金)

10/30 龍洞/第二洞の岩場

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2015年10月29日 (木)

10/29 龍洞/第一洞の岩場

2015.10.29(木)

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ホテルの朝食は、ビュッフェスタイルだが、メニューは毎日微妙に替えてくれる。私にはメンマがいくらでも食べられるのが嬉しい。

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散策の歩道から音楽庁エリアを見下ろす。端から端まで海岸沿いを行くことができる。

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ここが黄金谷への下降点。釣り人も降りる。


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黄金谷東面から海岸沿いに第一洞に向かう。

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これが第一洞、だいぶ崩壊していた。

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左のお二人は、カミサリークラック55mを登り懸垂下降してきた。
No.284 Cammissary Crack ★★★ 5.10a Trad.2P
右はCalypso★★5.7Trad.10m カム入れのリード練習によい。

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本日台湾に着いて、直接龍洞に来たというW島さんが現れた。さっそく取り付くも苦戦。なめたらイカン。返り打ち。No.285 Reggae ★ 5.9 trad. 中国語表記:7雷鬼 ★ 5.9 傳攀

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夕食は宿泊しているホテル前の飲食店にて

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2015年10月28日 (水)

10/28 基隆 Rest Day

2015.10.28(水)小雨

天気は小雨模様、よって休息日となりそれぞれ思い思いに外出した。

基隆観光の私的HPのひとつ ⇔ http://tabi-navis.com/event/tw_tairyosai/000736.html

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10泊お世話になったホテル、e-coast star hotel(東岸之星精品旅店)の受付嬢のひとり

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基隆の中心街から北東方向、ホテル近くの街路、義一路を北方向に歩く。街路の歩道部分にはこういったお店が商売している。

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豚ばら肉が美味しそうで思わず買った。100元

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これは揚げ物

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道路沿いに大きな立派な学校があった。国立基隆女子高級中学とあった。
高級中学は日本の高等学校に相当する。以下は国立基隆女子高級中学HPからの抜粋

學校沿革

本校創立於1924424日,日治時期原名「臺北州立基隆高等女學校」,首任校長為日人近藤廉三。初借「基隆尋常高等小學校」(今仁愛國小)的一部分為校舍,翌年復借「基隆公學校」(今信義國小)的一部分為辦公處,至1926校舍完工,3月方遷入現址。1941年,日人池誠安祥繼任校長,治校至194512月臺灣光復為止。日治時期學制修業年限為四年,一學年三學期。初期每個年級只有二班。課程不授漢文、只教日語,重視修身、家事、裁縫等科目,並注重體能訓練。

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博物館を見たいと思いタクシーで北東方向へ向かう。国立海洋大学近くに①基隆市原住民文化會舘に行ってみた。
市内にはこの他に、②国立海洋科技博物館、③陽明海洋文化藝術館、④基隆史跡館、⑤基隆故事館、⑥中元祭祀文物館、次回訪問のときに市内観光をしたいと思っている。

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中正公園
http://tabitabi-taipei.com/more/2010/0902/index.html

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丘の上の中正公園から基隆の中心を眺める。
http://www.tripadvisor.jp/Attractions-g317130-Activities-Keelung.html

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ホテルの近く、夕食に入ったお店。雲南とか泰式とかメニューに名前があったから雲南料理とかタイ料理のことだとだと思う。

2015年10月27日 (火)

10/27 龍洞/校門口の岩場

2015.10.27

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龍洞港

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龍洞港にある小学校、子供たちはスクールバスで登下校していた。

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校門口の岩場、ここが一番近い。

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晴れると暑い。

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奮闘的な登りのS子さん、すぐ脇のテラスまでUPして撮影、本人は気が付かず。

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終了点にPASでセルフビレーを取る。

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ウエディングの女性とShot

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岩場での撮影は終了⇒チームは波打ち際に移動して行った。

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泊まっているホテル前のお店で買った豚バラ肉の角煮はトロトロ。

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K川さんが、市内のお店で探してきた。

2015年10月26日 (月)

10/26 龍洞/音楽庁の岩場

2015.10.26(月)

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朝の漁が終わった船が帰って来た。上手い操船だ。

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この小学校校門右がわにトイレがある。

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この先、注意を要する木橋を渡る。

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クライムダウン、そしてようやく音楽庁の岩場に到着。

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右手、ひと癖ある5.7のクラック

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402.Balcony seven★★5.7trad.この上に1ヶ所ひと癖あり。

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No.383 Wedding Route★★★ 5.7 Sport
Start with a short overhang,then climb a long,low-anggle face to a scenic beley position.24m
中国語標記:結婚路線 5.7 運動

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釣り人もクーラーBOXを抱えて、トラバースして帰る。

2015年10月25日 (日)

10/25 龍洞/黄金谷の岩場

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ホテルから100mのところにあるバス停。セブンイレブン前。市魚はクロダイ。

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ヨセミテクラック

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夕食は基隆駅方向に歩く。ここのお店は昨秋、地元クライマーの案内で訪れた。新鮮で安くて美味しい。地元の皆さんが行くお店だ。

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店頭に魚介類が陳列されており、これを調理してもらう仕組み。

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シーズンのイカはきゅうりなど  とともに炒められた。生姜が決め手、味付けは薄目。強火で短時間の炒め。

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野菜もエビも。

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これは白魚。呑んで食って割り勘で@500元/人

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基隆市役所

2015年10月24日 (土)

10/24 基隆市の夜市

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倒産店の処分セールか。

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海鮮料理の夜店で食事

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呑んで食べて精算、@350元/人

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路上で日本の演歌を歌っているオバちゃん。

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ホテルのツインルーム、バスタブはない。シャワーのみ。テレビのチャンネル数がやたら多い、海外版NHKも見られる。時代劇もプロレスも見ることができる。

10/24 龍洞/後門の岩場

2015.10.24

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ベースにしたホテル近くの道路にて、この通りは医院、薬局が連なる。

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ハリウッドのような、丘の上に建てられていた。夜には灯りがともる。

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後門や黄金谷には「龍洞港」を過ぎてトンネルを越えたところにある「佛祖廟」のバス停で下車した。基隆駅から龍洞まで@65元。カードチエックで15元off、下車するときのチェックで50元offの仕組み。

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中華式のお寺はこんな感じ。派手派手で龍がシンボル。

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下降して岩場に向かう。釣り人や一般観光客も多い。景勝地でもある。

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白亜のリゾート

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2015年10月23日 (金)

10/23 台湾 桃園空港

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桃園国際空港到着

2015年10月21日 (水)

アニメ GAMBA *ガンバと仲間たち*

2015.10.21(水)曇り

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朝8:30、近所のマーガレット歯科を済ませてから、南町田グランベリーモールのシネマに行った。10:25~のチケットを買った。二人で@1100×2

先週10日公開のアニメで平日の午前中のためか、館内の観客は計7名程度。
圧巻のシーンを3つ挙げたい。①船乗りネズミの大宴会、②凶暴なイタチの群れを率いるボス、白毛のノロイとの対決、③ラストシーン、戦いを終えツブリらの背中に乗り、島から帰るガンバと仲間たちが大空を飛ぶシーン。
声の出演、神田沙也加がアナ雪に次いでよかったと思う。子供向けとはいえ、大人にも十分楽しめた。

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帰宅してから1969年発表の第1作目の「グリックの冒険」を一気に読んだ。2作目がこのアニメの原作となった「冒険者たち」、3作目が「ガンバとカワウソの冒険」のガンバの冒険シリーズだ。

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これも観に行くつもり。

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このアニメは何なのか分からない。

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モールのメインストリート。ここではお客さんが連れている珍しい高級犬にも出会える。

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季節のイベントを盛り上げていた。

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しゃれた生活雑貨のお店がある。

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スタバもあった。

このしゃれた商業施設は、2000年4月に東急田園都市線南町田駅前にアパレル・雑貨主体の屋外型アウトレットモールとして開業。開発主体は東急グループ。当初は外資のカルフール(仏)やREI(米)も出店したが、短期収益を追うあまりあっという間に撤退してしまった。商業施設で開業当初から絶好調を維持するのは難しい。かつて沿線にある玉川高島屋の開業時は閑古鳥状態が続いたが、その後の沿線開発とともに二子玉川の核店舗として発展を遂げた例がある。
ここは開業から15年が経過し、施設の老朽化もあり、2020年には周辺も含めた一体再開発によりリニューアルされる予定だという。期待していいと思う。

2015年10月18日 (日)

安達太良の帰路、東北道 羽生SAの江戸の町

2015.10.18(日) 快晴

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埼玉県北部東北道登りの羽生SA、ここに寄るのは2回目。鬼平江戸の町がテーマ。

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イベントコーナーでの大道芸、江戸糸あやつり人形の実演。ハンパではないこういう芸が受け継がれていることに驚いた。大人気だった。前回は南京玉すだれだった。

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糸の操りにより動きだけでなく人形の表情まで変化してしまう。大道芸の王道をゆく人形操り師。

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「本所さなだや」のお蕎麦と「五鉄」のうどんを半分づつ食べた。不満なし。隣接のうなぎ屋さんも魅力。

帰路も往路同様、都内通過を避け、迂回する圏央道から帰宅した。10/31には久喜菖蒲ICと桶川北本ICとの間ががつながるという。予想に反して渋滞なし。

安達太良山 紅葉と温泉の山旅(10/17-18)

2015.10.18(日)晴れ時々曇り

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10月17日(土)
家内を連れて安達太良にやって来た。半月前の磐梯山に次いで30年ぶりの山歩きは2回目。彼女は前回は散々筋肉痛に悩まされた。往路は5:20に自宅を出発して4時間半で安達太良スキー場の駐車場に到着した。往路330キロ。行楽シーズン真っ只中である。

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この日は勢至平経由で、くろがね小屋に上がる予定だったが、ロープウェイを利用して山頂を経由するコースに変更した。

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ファミリー連れ(赤子連れもいる)、高々年のグループ、若者グループ、女子隊、熟年夫婦などさまざま。地元の方が8割とみた。秋の安達太良は地元に暮らす人々には特別のようだ。とても親しまれている。丹沢で云えば大山以上だと思う。麓の二本松市の平野から山頂を望むことができる。

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山頂の肩にて、多くの人が休んでいた。

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頂上に達したところで、かかっていた雲が切れて視界が広がった。
山頂にて、山ガールの姉さんたち。カラフルなイデタチがいい。男は用具から入るが、女性はファッションからアプローチするようだ。

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山頂(標高1,700m)のちょっとした岩場。大混雑である。

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通称、「牛の背」経由で稜線を歩く。

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西方向に裏磐梯の秋元湖が望めた。以前火山性ガスで事故があった。立ち入り禁止エリアには入らないことだ。

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くろがね温泉のあるくろがね小屋に向かう。足の調子がよくない方には下り歩行がたいへん。ゆっくり歩くことだ。

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小屋の名前の由来となっている鐘。くろがね
建物の中にある浴槽には白い濁り湯の温泉、湯温はちょうどよい具合。泉質は単純酸性泉。
20:30までに入るように貼り紙があった。消灯は21:00、朝湯はなし。11時から入れる。
ここの小屋は公営でアットホームな雰囲気がいい。2014.3.8に次いで2回目のお泊り。

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翌朝のくろがね小屋。7:00 a.m.から下山開始。
深夜、小用で起きたとき外にでてみた。満天の星空。オリオンが天頂に。
膝の変調に気が付いた。右膝関節内に水が溜まったようだ。痛くて和式トイレを使えない。歩行は膝が曲がると痛いので、ゆっくりゆっくり下った。駐車場まで2時間45分もかかった。登山中にこんな状態になったら困る。加齢には違いないが、歩き込み不足か。体重増加もその要因のひとつ。

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岳温泉、温泉街の中心にある信号機前の♨、岳の湯で汗を流した。入浴料@350、とても熱かった。

3月は裏磐梯、9月は磐梯山と会津、そして今回安達太良山と福島づいている。山旅によい季節だ。来年の秋は西吾妻山か吾妻山の紅葉と温泉を楽しみたいと思う。白濁の野地温泉にはぜひ泊まりたいと思っている。

2015年10月13日 (火)

アニメ 「GAMBA ガンバとなかまたち」

2015.10.13(火)快晴

アニメ 「GAMBA ガンバとなかまたち」が先週の土曜日から公開されている。
南町田のグランベリーモールに観に行こうと思っている。

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原作は斉藤惇夫著「冒険者たち ガンバと十五ひきの仲間」(岩波少年文庫)で、この本の挿絵は故薮内正幸さん。モノトーンの独特の動物画がいい。読んでいてそのシーンが鮮明にまぶたに浮かんでくる。ストーリーを盛り上げてくれる挿絵だ。この本は児童文学のカテゴリーだそうで、還暦の歳に読んだ。ぐいぐいと引き込まれた。孫にぜひ読ませたい一冊だ。
ガンバの冒険三部作とは知らなかった。あとの2冊は「グリックの冒険」と「ガンバとカワウソの冒険」 近々読んでみよう。

関係ブログ ⇒ http://zettkeikanakurikuri.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-e7e6.html

山梨県北杜市」白州町にある薮内正幸美術館のHP ⇒ https://yabuuchi-art.jp/

【追記】
10/20 昼前に町田のTOKYUにあるメガネ屋さんにサングラスを買いに行った。昼食で南国酒家に寄った後、小田急8階にある久美堂書店で読んでいなかった三部作のうちの2冊を購入できた。

2015年10月12日 (月)

廻り目平 兄岩(10/12)

2015.10.12(月)快晴

深夜、テントの外に出てみると、満天の星空だった。ここは標高1,570m。
朝、放射冷却だけでなく寒気南下でかなり冷え込んだ。車のガラスが凍り付いていた。

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カモの会の皆さんのテント。センターポール1本のみ。後は周囲を張り綱で引っ張って建てる。その右側の複数の小さなテントが私らのもの。

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廻り目平はすっかり秋。

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兄岩下部岩壁

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終日快晴。夕方の烏帽子岩(左岩稜)
帰路、中央道の渋滞は小仏トンネルから大月まで25キロの表示。都留ICで降りて道志村経由で帰宅した。 8:30p.m.

佐久小海町にて(10/11)

2015.10.11(日)小雨、昼より回復

岩場には濡れて行けないので、温泉に入りがてら近くの小海町へ行った。
(社)小海町開発公社 松原湖高原管理センターが運営しているエリアがある。

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まずは入浴。とても混んでいた。八ヶ岳は荒れたという。下山者の客だけでなく一般の観光客も多い。駐車場はほぼ満杯。

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新蕎麦という触れ込み。ボリュームがすごい。大盛りを注文する必要はない。

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敷地内に立派な小海町高原美術館が建っている。建築家 安藤忠雄氏による設計だそうだ。長倉洋海 写真展(9/5-11/3)が開催されていた。

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天気が回復し寒くなった。

2015年10月10日 (土)

秋の湯川 クラック(10/10)

2015.10.10(土)
連休初日は佐久湯川

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泊まりは川上村の廻り目平。NANA’Sナナーズで買い物をしてからキャンプ場に入ったころは、すでに陽が落ちて真っ暗。設営したところすぐ近くに知合いのグループがファイアー中。

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若者たちが作ってくれたオムレツ。ポテト+玉葱が入っていた。とりわけ玉葱が甘くて美味しかった。

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焚火の火で炙り焼きした油揚げをショウガ醤油で食べた。これも美味しかった。

2015年10月 8日 (木)

秋の錫杖岳 人気の左方カンテは1日貸切り

2015.10.08(木)快晴→時々曇り→昼前から快晴


5:15p.m. 駐車場スタート

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 ここには1995年10月に初めて来た。錫杖岳前衛フェースには直近では2008.9.14にⅠルンゼ(このとき烏帽子西肩からの下山時にクリヤ谷で滑り肩関節を痛めた)、2008.7.19に7回目となる左方カンテには神奈川のメンバーと登った。従って今回が8回目となった。その後、ルート整備が行われ、残置されていたハーケンやリングボルトの多くが撤去され、NP(ナチュラルプロテクション)を用いて登る今日風のルートとして生まれ変わった。概ね必要最小限と思われる支点は残され、または新たに設置(核心ピッチ上部左にペツル1個あり)され、各ビレーポイント(2個のペツル)が整備された。

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5:15p.m. 駐車場スタート

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1P目 KTスタート

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2P目のスタート

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2P終了点から北沢方面の紅葉。まだイマイチ

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3P目、SNさんリード。かつてはA0で右上方から直線的に抜けたが、複数のリングボルトが撤去されたいまでは左斜めから上がる。スタンスはしっかり置ける。

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蒲田川を隔てて望めた穂高の稜線

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4P目 SNさんリード。チムニーには以前にはなかった古いカムが回収不可能の状態で残されていた。その3m位の台の上に古いハーケン1本あり。

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北沢フェース側

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4P目リードのSNさん。大きいテラスに抜ける。
Rimg0031_25P目 リングボルト3本と1本のハーケンあり。

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6P目の核心ピッチをゆくHMさん。カムで慎重にランニングを取ってゆく。3人が揃ったのは12:50で今回はここで終了とし、下降準備にかかった。

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ロープ回収時に右のチョックストーンロープが挟まり、HMさんが登り返してロープを外した。

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計3回の懸垂下降で北沢に着地。
(1P+2P=KT,3P+4P+5P=SN,6P=HM)

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クリヤ谷登山口にある露天風呂、橋の上からは丸見え。平日のためかあまり手入れされていない感じ。湯温のムラがはなはだしい。

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4:45p.m. 露天風呂のある橋の上からの槍ヶ岳、夕方時の快晴でこんなに眺められることは少ないと思う。
平日のため、渋滞もなく新穂高から4時間も越えることなく、スムーズに帰宅できた。往復530キロの走行

2015年10月 5日 (月)

JR大阪駅

2015.10.05(月)

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新梅田食堂街、ガード下側の呑み屋さん、大阪屋さん、運営はおばちゃんたち。いつの間にか全員黒基調で大阪屋の店名入りTシャツを着ていた。以前は白の調理者用の衣服だったが・・・。
朝からやっている。朝食は美味しかった。熱いご飯と味噌汁に漬物と生卵で@300

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何年もかかって完成した。左が大丸、右が伊勢丹、その間がホームになっている。
梅田駅界隈の開発は広がりをみせてまだまだ進行中。

2015年10月 4日 (日)

通天閣界隈にて

2015.10.04(日)

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ジャンジャン横丁を抜けたところにある衣料品店。

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ご当地Tシャツを買った。「まいど 大阪」Tシャツ

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ド派手な店舗。

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なぜか公道の上にあるカンバン。
かつて広告宣伝関係者に聞いたことがある。関西では視覚的に目立つことをとても重視するという。外看板がその典型だと思う。道頓堀のグリコの大きな看板。ここ通天閣界隈などまさにそうだ。

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まだ午前10時前のストリート。

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かつてこの通天閣の地下には、「通天閣歌謡劇場」があった。

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スーツケースを持っていたので、中国人か東南アジアからの旅行者かと思って声をかけてみた。日本語で「福岡から来ました」とのことだった。

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前日は雑魚寝でお風呂にも入っていなかったので、通天閣すぐ裏の銭湯に入った。朝9時から開けている。いつの間にか真新しい露天風呂ができていた。結構大きい。ハンパではない。立派な露天風呂で、入浴しながら通天閣の展望台を約60度くらいの角度で見上げることができた.。内風呂はノーマル、ブクブクやピリピリ、水ぶろ、スチームサウナなど。この界隈の知られざる名所だと思う。以前入ったときは刺青の方が結構目立ったが、今回は見かけなかった。貸しタオル、石鹸、ひげそりセットで@530。番台にはおばあちゃんが座っている。

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きれいさっぱりして着替えて、ジャンジャン横丁で軽い食事のあと、新大阪のホテルで行われる元勤務先企業の入社同期会に向かった。
さらに夕方には故SKさん関係の集まりも予定していた。中身の濃い一日となった。

【追記】 買い求めたご当地Tシャツ@1080

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背中 (いっぺんきて⇒いっぺんきて

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腹側

ミナミの ジャンジャン横丁へ

2015.10.04(日)

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若い女性がお客さんだった。以前だったら考えられないこと。

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価格体系が異なる別世界がこの界隈。

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陳列してあるシューズはよく見るとなぜか片足づつ。

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この街は将棋を抜きには考えらない。通天閣の地下入口脇に坂田三吉の記念碑があった。今回未確認。

20年位の間にこの界隈は随分と変化した。若い女性の来れる観光名所になった。八重勝などいつ行っても行列が出来ている。串揚げの店が増えた。JRのガード下では露天のお店が無くなっていた。かつての簡易ホテルには英語表記の看板もある。若い女の子が宿泊するようになった。あいりん職安前は閑散としていた。路面を走る阪堺電車はまだあった。
大阪はまだアーケード商店街があちこちにあるし、古い棟割り長屋のアパート(なぜか文化住宅という)も見かける。なんとなく昭和を感じさせてくれる街だ。38歳から延べ17年間を大阪で暮らした。

2015年10月 3日 (土)

裏六甲 不動岩にて

2015.10.03(土)快晴

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福知山線三田駅のひとつ手前、宝塚寄りにJR道場駅がある。ここに高さ約60mの不動岩がある。電車からも駅前からも見える。近くに烏帽子岩・駒形岩や鎌倉峡には百丈岩もある。
市街化調整区域のためか、このあたり一帯には里山風景が残っている。景観が変わっていない。結構なことだと思う。

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朝の道場駅前

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不動岩東壁 逆Lを登るH川さん、

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F施さん

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砂かぶりのN川さん。彼は転勤でこの6月に大阪に転居。

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夕方の駅前広場

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府岳連の皆さんと。翌日一般公開の講習会を鎌倉峡のやぐらで行うとのこと。W田、N岸、UMちゃんもいた。

2015年10月 1日 (木)

会津藩の歴史を辿った

2015.10.01(木)晴れ

Img_5876ホテルから観た朝の磐梯山
泊まったホテルは星野リゾート磐梯山温泉ホテル。食事はレストランで、ビュッフェスタイルの食事でゆっくりできるのがよい。強いて不満を云うならば温泉ホテルを謳っているのに露天風呂がない。

平日なので道路は空いており、磐越道を走る必要はない。磐梯町の隣りに位置する会津若松は大きな盆地だ。まずは会津鶴ヶ城に向かった。

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会津鶴ヶ城は昭和40年に外観復興の形で再建された。ゼネコンはハザマ組とのこと。

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瓦は普通黒なのに赤みのかかった色をしていた。なかなか艶やかである。
ボランティアガイドさんに解説をお願いすることができた。同輩くらいのおじさんで1時間も歩きながら、中世以降の会津の歴史や鶴ヶ城の変遷について解説してくれた。城の始まりは中世の鎌倉御家人、三浦一族の葦名直哉がここに派遣されてからだという説明から始まった。
ここは東北の中学生の修学旅行地になっており、お城の見学では宮城県大河原町、山形県寒河江市の中学生らといっしょになった。

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移築復元された由緒ある茶室「麟閣」
領主蒲生氏郷の時代、一流の茶人で利休七哲の筆頭だった氏郷が千利休の子、小庵を会津に匿った。「麟閣」はそのとき本丸内に建てられた茶室。

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御薬園、殿様の別荘。薬草も栽培していた藩主松平家の庭園。お城から車で5分くらいのところにあった。

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左側の池に突き出したように建てられた八畳間のある小さな建物があった。ここで密議などが行なわれたとパンフに書いてあった。

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白虎隊が自刃した飯盛山に上がる参道

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白虎隊十九士の墓。19名の自刃した隊士の名前と年齢が刻んである。その多くが16歳と刻まれていた。白虎隊の少年隊士は315名、うち生き残った隊士は265名で明治、大正、昭和と各方面で活躍したという。

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白虎隊外の少年武士の戦死者の慰霊碑もあった。14歳から17歳とあった。

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さらに婦女子の霊を弔う石碑もあった。

戊辰戦争の激戦地、鶴ヶ城での籠城は、官軍に攻めたてられ昼夜の砲撃にも耐えながらも1ヶ月間持ちこたえた。1868年(明治元年)落城、当時の松平家藩主は松平容保。
その後、会津松平家は青森県下北半島の現在の陸奥市に斗南藩として移された。藩士とその家族は苦難の道を歩むこととなる。
陸奥国際ホテルに斗南藩の関係資料などが展示されている。
会津若松市を訪れたのは約40年ぶりで、近くの東山温泉に泊ったことは憶えているが、鶴ヶ城を訪れた記憶がない。

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