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2014年10月10日 (金)

ウォーク 多摩川台公園~田園調布

2014.10.10(金)曇り

 高校時代の5名が集まり、京都にお住まいの女性や新潟からの女性(自転車乗り、高校生のときは陸上部)も来られて会合を持った。この日私はウォーキング担当。多摩川駅から田園調布駅まで散策しながら案内した。夕食は自由ヶ丘にて。自由ヶ丘は半世紀も前、高校生のときよく途中下車した駅だ。自宅まで歩いて15分くらいの距離だ。自由ヶ丘デパート内にあったたくさんの種類を誇る餃子センターというお店が楽しみだった。当時、家庭では餃子はまだ珍しいメニューだった。モンブランという有名なケーキ屋さんもここにあった。
 多摩川駅(東急東横線・目蒲線の旧多摩川園前駅)集合、近くの多摩川浅間神社がスタート地点。それから亀甲山古墳のある多摩川台公園から宝来公園を通り抜け、田園調布駅方面へと遠回りしながら歩く。途中閑静な住宅街の中には、優美なカトリック田園調布教会があるし、「小さき花の幼稚園」もあった。線路の向こうにはこのあたりの象徴的存在でもあった会員制の田園テニス倶楽部もあった。私は子供のころコートの外に飛んだ毛のある硬式テニスボールを拾いに行った。多摩川の河原には巨人軍のグランドがあった。ここでもフェンスの外に飛んだ硬式ボールを拾いに行ったことを記億している。子供のときは竹バットにゴムボールで遊んでいたので、要するにこの類のボールが珍しかったのだ。
 午後6時には自由ヶ丘に移動してさらに2名が加わり、予約しておいてくれた磯勢に入り、7名で歓談しながら夕食を共にした。帰宅は10時をまわった。
(註)田園テニス倶楽部には、その昔、田園コロシアムという日本のテニスの聖地といえる施設があった。昭和11年(1936)に日本で初めてテニスの国際試合が開催されたという。ここではプロレスの興行が行なわれたことを憶えている。観戦?に行った。力道山、グレート東郷、ブラッシー、レフリー沖 識名などがリングに上がった。ほかルーテーズ?シャープ兄弟?・・・記憶は定かではない。小さな子供だった私は本気の試合と思いこんで熱心に観戦した。ラストには必ず力動山の強い空手チョップで巻き返して相手を圧し、その強さに感動した。親が「プロレスは筋書のある興行だよ」と言っても全く信じなかった。

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多摩川の対岸にはいま話題の変貌した武蔵小杉地区のタワーマンション群。かつてNECの基幹工場ともいえる玉川事業場があったところだ。橋は中原街道の丸子橋。高台にある浅間神社境内から眺めた。これから晴れれば丹沢の裏手かやや右に富士山が見えるはずだ。
(註)多摩川の流れがきれいになっていた。白い泡は全く見えなかった。子供のときこの川で泳いだ。その時の水の色は泥色っぽかったと記憶している。

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町のシンボル、カトリック田園調布教会と修道院、その奥が大聖堂。子供のときから存在感のあった教会だ。1932年に建てられた。

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ここは大改修された駅施設に変わっていた。西口と東口の垣根がなくなった。この駅舎は田園調布駅のシンボルとして2000年に復元された元西口駅舎。当時はこの入口が西口の改札口であった。
設計は神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテルを設計した矢部金太郎といわれている。
西口駅前からに3本の放射状の道路がのび、扇形に広がるここ田園調布の住宅地は大正12年(1923年)から分譲された。

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駅前西側の老舗のしゃれたケーキ屋さん(レピドール Lepi-Dor)は大きく建て替えられていた。2階が喫茶コーナーでメニューをみたらコーヒー@700、価格は立派で上高地の帝国ホテル並みか。高価なコーヒー豆を使っているのだと思う。私達は駅上のスタバ@302で休憩した。西口の醍醐というお寿司屋さんも健在だ。東側には老舗とは言えないが、古くからあるつな八(1F焼き鳥、2Fうなぎ)もあった。果物屋のたからやさんも。
話は尽きずいいお付合いができた一日だったと思う。

【追記】
ここの神社の由緒:今から800年も前、鎌倉時代の創建と伝えられている。祭神は山嶽を守る神、大山祇神(おおやまづみのみこと)の姫君で「桜の花が咲き匂うような・・・」と言われる、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。木花咲耶姫命は、天照大神の孫、瓊々杵尊(ににぎのみこと)に見初められ、皇后となられた御方だそうです。
多摩川浅間神社に以下の内容を記した東京都神社庁発行のしおりが置いてあった。

平成26年10月 生命の言葉
自然に服従し 境遇に従順であれ 森田正馬
解説:まず「あるがまま」を受け入れ、自然や運命に素直に身を委ねなさい。そのうえで努力を重ねてこそ、初めて自身の持つ力が豊かに発揮され、運命を切り開くことができる。
出典「神経症の時代」
生の欲望に従い、不安や恐怖を「あるがまま」に受け取るという考え方に基づく森田療法を確立し、多くの神経患者を治療した。
精神化神経科医 森田正馬(1874~1938年 まさたけ 通称しょうま)
今年、南町田グランベリーモールの映画館でみたディズニーのアニメ、大ヒット「アナと雪の女王」の Let It Go に通じる言葉かなと・・・。

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