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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

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2014年9月

2014年9月28日 (日)

秋、快晴の北八ヶ岳稲子岳南壁

2014.09.28(日)終日快晴

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しらびそ小屋前のみどり池、正面にそびえるのは東天狗岳東面。ここ北八つのこんな雰囲気がとても人気だ。

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アプローチは分かりにくいとはいうものの、地図で確かめ直線的に急登すると樹間に南壁が見えた。
一般登山道の右脇、標高2130m付近にある小さなケルンが目印で、赤マーカーに注意して標高差120mほどUP、南壁の左端の取り付きにでる。

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左カンテルートの青空スタート8:30

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3ピッチ目、左に回り込むところで、ここに3つほど大きな浮石があった。要注意。

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すぐ上の安定したビレーポイント

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4ピッチ目はピナクル上まで伸ばした。抜けるところがこのルートのハイライトだと思う。Ⅲ+

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後続の静岡市ペア。お歳は私より上のようだ。先行を譲ってくれた。

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7m位の壁でホールドとスタンスがしっかりある最終ピッチ Ⅲ。

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終了点10:40、後方は東天狗岳(中央)と硫黄岳(左)
この半年、集中してトレーニングに励んだお二人、YDクンはオールリード、SMクンは本チャンデビュー。落石しないよう最大の注意を払って攀じり、確保支点を定石どおりセット、スムーズなロープワーク、的確なルートファインディングなど、概ね各ピッチはⅢ~Ⅲ+の初心者ルート。岩登りを始めて初めての本番で練習の成果を確認するに相応しいルートだと思う。昨年ルート整備が進んだようだ。静岡パーティの話では落石を誘発する浮石が随分減ったと言っていた。
秋晴れの岩登りを堪能した。いつも好天とは限らない・・・。若い二人の次の目標は一ノ倉となる。

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下降路、まだ早いが紅葉が始まっていた。帰路、八峰の湯に入り@150の重たいキャベツを買って清里→中央道(都留IC)→秋山街道→413号経由のルートを走らせた。19:40帰着

2014年9月27日 (土)

広沢寺の岩場

2014.09.27(土)

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弁天岩のあと、対岸の岩場へ。マインド・イズ・ライト5・11a★★にTr.で取り付くS子さん。この日は半日クライミング。

2014年9月26日 (金)

富士山の主杖流し

2014.09.26(金)快晴 下山時標高2800m以下は曇り

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2500m付近から頂上方向を見上げた。山腹はすでに紅葉。

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富士宮口、雲海荘手前のブル道から西側へアップダウンの少ないお中道を「主杖流し」の入り口に向かう。

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興醒めかも知れないが、入口にはペンキで書かれているので、間違えることはない。
ただここに至る手前で、入りたくなるようなしっかりした岩盤の沢がある。

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頂上方向、できるだけしっかりした岩盤を選んで登るとよい。単独で独り占めした。落石に備えてヘルメット着用。傾斜は緩いのでポールを1本使用してアップしてゆく。

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西側には南アルプス南部の稜線がくっきりと眺められた。標高3,200mくらいから高所の影響を感じた。やや眠い感じ。酸素を多く摂るため息をゆっくり深く吐き出す。

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日陰にはまだ小さいがツララが・・・。

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溶岩が流れ出して固まったスラブ状の岩盤が続くところがあった。5・10のアプローチシューズはしっかりグリップしてくれた。

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剣ヶ峰にある観測所施設が見えてきたが、なかなか届かない。穂高の涸沢でヒュッテは見えるがなかなか着かないのと同じで気分的にやや辛いところだ。

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地元富士市の同年の方が声を掛けてくれシャッターを押してくれた。

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頂上の爆裂火口

浅間神社奥社でフレンドリーな外人さん(ノルウェー)の隣りで昼食をとり、膝にやさしいブル道を下った。
10月にもう1回、順化に行こうと思う。

2014年9月23日 (火)

三つ峠の岩場

2014.09.23(火)

YDファミリー(老犬ビーグルのエリックは留守番)、SM,NAさんらと岩登り練習に行った。

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90リットルという大きなザックを背負うNAさん。どうみてもザックの調整がおかしい。ほかにザックがないとのこと。沢登りにもこれで入ったという。リードで調節して重心をもっと上に上げられるはず。ザックはカリマー。大は小を兼ねるか?

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荷物を置くのは地蔵ルートの前が安全だと思う。
帰路はみんなで富士吉田の幸楽苑で夕食となった。

2014年9月22日 (月)

自宅で増えた曼珠沙華(彼岸花)が開花

2014.09.22(月)

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毎年正確にお彼岸に開花する彼岸花。
不思議な花だ。骸骨みたい。両親を思い出させてくれる花だ。
手間暇のかからない球根植物でこの7-8年の間に増えたようだ。茎を数えると18本あった。この花の由来はいろいろある。

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前日(9/21)は厚木の郊外に出掛けていたが、農家の庭や、田の畔や畑の脇、道路端などあちこちで咲いていたし、大群落も見かけた。清川村

2014年9月20日 (土)

22th ナマステ・インディア2014 代々木公園

2014.09.20(土)曇り

3年連続で訪れたインド登山で世話になった関係者が出店(マナリの風来坊山荘)しているというお知らせをいただいていたので行ってみた。AK氏夫妻と会うことができた。AKさんはシルバータートル隊でマナスルに登った方。このときKN正継さんが行方不明となった。
このインドとの日本の文化交流イベントは、毎年この時期に開催されている。22回を重ねている。例の代々木公園のデング熱騒ぎで、今年のイべントは出店者も来場者も半減だという。

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インド料理の青空飲食店で賑わった。 

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イベントステージでの日本人チームの踊り

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中央がインド舞踊の先生。

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デリーでも見かける豊そうなインドの子ども。

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帰路に寄ってみた。代々木公園に隣接している明治神宮内苑の菖蒲園。都内にこんな深い緑、雑木林に囲まれた別天地がある。25,000坪もある。手入れがたいへんなことと思う。ここは江戸時代には井伊家の元下屋敷。ボーフラ生育にはうってつけの環境で、公園の立入禁止区画に隣接しているのに、なぜかここは立入禁止にはなっていない。

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ここの窪には武蔵野の湧き水が引かれている。

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明治神宮 
円安ドル高のためか。ここのところ外人観光客が増えていると思う。若い中国人ペアも目立つようになった。この日も和装の新郎新婦が連れ添って神殿から歩いてきた。
帰りに「こがめ」さんに立ち寄った。

2014年9月14日 (日)

立岡山

2014.09.15(日)

9/14(土)下部岩壁

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9/15(日)

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2014年9月13日 (土)

バルト三国 エストニア首都タリンの歴史地区

エストニア首都タリンの旧市街地区が世界遺産。

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パンフなどに掲載されているタリンの代表的な旧市街地。トームペアの丘の展望台から。

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タリンの大聖堂
1240年、デンマークの統治時代にタリンの聖母マリア教会がエストニア司教区の大聖堂として奉納された。
1561年以降、スウェーデンがエストニアで政権を握ってからルター派を代表する教会となった。

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中世タリンの城と要塞 トームペアの城壁。
1265年からデンマークのマルガレータ女王が守りを固めようと建設が始まった。
中世タリンの下町の城壁は本格的で、16世紀初頭の頃は北欧全体の防御システムと比べても最も巨大で強力なものであったという。何世紀にもわたり城壁の補強が行なわれが、17世紀以降になると火器の威力が増し、城壁は防御の目的を失っていった。

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砲塔として建築された「太っちょマルガレータ」
武器庫や牢獄としても歴史上使用されてきた。現在は海洋博物館の建物として利用されている。入館してみた。

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海洋博物館屋上からの眺め①

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海洋博物館屋上からの眺め②

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ロシア正教会 アレクサンドル・ネヴスキー大聖堂 
黄金色に映える玉葱坊主が特徴。18世紀、エストニアがロシア帝国に併合され、19世紀になるとエストニア人をロシア正教へ改宗させる本格的な運動が始まったという。

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旧市庁舎

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夕食の帰路、夜になると旧市街地に教会の尖塔が浮かび上がった。

(註)引用等は現地で購入した日本語版ガイドブック「中世の都市 タリン」から。

バルト三国 ラトビア首都リガの歴史地区

2014.09.05(土)

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バルト三国 リトアニア首都ヴィリニウスの歴史地区

2014.09.05(金)

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夜明けの門
1503-1522年に建造された城壁とともにつくられた5つの城門の一つ。城壁の一部も残っていた.
聖母マリアのイコンが安置されている。

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大聖堂前の広場

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大聖堂

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聖アンナ教会
1495-1500に建築された。後期ゴシック建築の傑作で軽やかで優雅である。

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ケーブルで上がったお城からの展望、緩やかな起伏と豊かな緑の美しい街であった。

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旧市街地

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市街地はこんな石畳の道。

この日は Sostines dienos 2014 というイベントで、大聖堂広場に通じるストリートは大いに賑わっていた。夜は打ち上げ花火も盛大に打ち上げられた。

バルト&ヘルシンキの子どもと若者たち

バルト三国とヘルシンキでのスナップ。(2014.9月上旬)

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9/4 ラトビア・リガ市内で話しかけてきた二人の女子大生のうちの一人、ゼミのテーマで観光客にインタビューしているという。

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9/5 恥ずかしがり屋の女の子、ハローキティのグッズ(肩掛け小物入れ)を大事そうに持っていた。

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9/6 リトアニア・首都ヴィリニウスVilniusの街角にて 

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9/6 リトアニア・首都ヴィリニュス郊外のトラカイTrakai城(国内唯一の国立歴史公園8,000ha)。
結婚パーティに出合った。

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お友達はコスチュームイメージを揃えてパーティに参加するという。

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9/7 ラトビア・シグルダSigulda郊外にあるトゥライダTuraida城博物館保護区内の教会にて中世の衣装で迎えてくれた女性。

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9/8 タリン旧市街

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リトアニア・首都タリンTallinにて、闊歩するファッショナブルな女の子。まだ9月上旬なのにもうこのようないでたちだ。

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タリン旧市街、旧市庁舎広場近くのレストラン前にて。

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世界遺産として観光客誘致が活発なタリン旧市街、民族衣装で楽しませてくれた。

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9/10 ヘルシンキ大聖堂前の元老院広場、募金活動をしていた女子大生。

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元老院前の広場にて、このような表情のままの女の子。

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元老院前広場 大道芸人で大きなシャボン玉をとばしていた。このシャボン玉を追いかけていた男の子。帽子がお似合い。

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ヘルシンキ 1748年にロシア軍の侵略に備えた築かれた要塞島、スオメリンナ。
水上バスから島に上がった子供たちの移動。随分と厚着をしていた。

2014年9月12日 (金)

バルト&ヘルシンキ発

2014.09.12(金)快晴
予定どおり朝8時半に成田に着いた。夜間飛行と時差でボーっとしている。疲れもある。これから写真や足跡など整理しようと思っている。取り合えずヘルシンキにて。

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ヘルシンキ大聖堂、前日に内部を見学した。

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市内のトラムをヘルシンキ大聖堂前の元老院広場前で②番に乗り、ヘルシンキ中央駅近くの大きなスポーツ店 INTER SPORTで小さなリュック McKINLEY(SAPHIR 22W RC)を買った。
中央駅の広場からは⑥番に乗ってホテルに戻った。帰る日の午前中は、水上バスで海上要塞の島Suomenlinnaに渡って観光した。市内のトラム、バス、水上バスなど公共交通機関は8ユーロの24時間券が便利だった。

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前日はエストニアのタリンからバルト海を80キロ隔てたフィンランドのヘルシンキには往路同様、フェリーで移動した。そして港の近くにあるホテル Radison Blu Seaside Hotelに泊った。ここではエレベーターと階ごとの入場もカードキーが必要。厳重な管理のホテルであった。

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ヘルシンキ空港チェックイン、ムーミングッズのお店は日本人に大人気。やっぱり買ってしまった。

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1Fは土産などの店舗で混んでいた。トイレがなく焦ってさがしたところ、トイレは2Fにあった。階段で上がった入り口には分かりやすい大きな表示があった。

 バルト三国の旅は歴史(とりわけ平和)を考える旅でもあった。もちろん事前に図書館から5冊ほど借りて読んでおいた。今までは情報が少なくて関心の低い地域だったと言える。同じ県内の山の会でベラルーシの女性と結婚した方がいた(昨年夏、廻り目平のキャンプ交流で夕方の食事でお二人とお会いした)。すでにソ連邦でもロシアでもない隣国のベラルーシやウクライナを改めて地図で確認してみた。ウクライナは私が持っているDVD、映画「タラス・ブーリバ」でステップとよばれた大草原と中世のキエフの街をイメージした。そしてバルト三国も。
 ここは大陸だが近くには高い山もなく、大平原が続く陸続きのお国事情。島国の日本では考えられないほど近隣の強国による侵略と蹂躙が繰り返された歴史がある。そして私達には理解し難い複雑に絡みあった宗教事情。中世にはハンザ同盟に加わったハンザ都市、さらに帯剣騎士団やドイツ騎士団の進出。残存している多くの宗教建築や要塞トーンペアの城壁をはじめとする歴史建造物群。そして迫害と離散で2000年以上にわたり辛酸をなめ尽くしたユダヤの民・・・。
 しばらくはカレンダーを巻き戻しつつ旅行の整理をしながらバルト海周辺諸国の歴史を学んでみようと思っている。

【参考図書】
バルト三国の歴史 アンドレス・カセカンブ=著、小森宏美・重松尚=訳 2014.3.31初版 ㈱明石書店刊

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