最近のトラックバック

2023年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月

2012年9月20日 (木)

インドへ出発

2012.09.20(木)早朝 高曇り

5:30a.m.準備完了----荷物はこんなもの。

①預け荷物---ダッフルバッグ100ℓ・・・17キロ、大型ザック80ℓ---18㎏
          これに7㎏の分担荷物が追加される。
 
②機内持ち込み用---中型ザック38ℓ、7㎏程度、別途ウエストバッグもある。

Img_8607
昼過ぎのJL成田発で出国する。

2012年9月15日 (土)

9月 2回目の富士山 ②

2012.09.15(土)晴れ時々曇り、夕方快晴
先週に続いて9月2回目の富士山。今回は仲間のUさんが同行してくれた。富士宮口朝5時半駐車場スタート。先週よりだいぶ人は少なくなった。今回は駐車場確保は問題なかった。
前回、パルスオキシメーターを忘れてしまったので、今回は途中経過の測定をして、順応への対応確認を目的とした。ゆっくり歩き、呼吸も意識し過ぎの呼気・吸気は控えた。
O2濃度は80%前半、脈拍は100以下で、数値はまぁいいかという感じ。

Img_8581
朝の頂上にかかるレンズ雲。5合目から見上げた。

Img_8583
沼津方面の眺めよし。

Img_8588
剣ヶ峰にて

Img_8591
大学の団体。神奈川から来たという。吉田口から。

Img_8595
新潟からきた中学生隊、吉田口から

Img_8602
火口は結構迫力あり。

Img_8604
秋を感じさせる登山口付近。黄葉が下がってきた。

小さな子供を無理やり上らせているファミリーをいくつか見かけた。明らかに高度の影響を受けている感じであった。可愛そう。
午後には海外登山の高度順応のためか、頂上付近で一夜を過ごすパーティがいくつか上がってきた。

一応、これで国内訓練は終了。あとは心臓・膝などの持病チェックの受診を残すのみ。
これから80リットルの大型ザックと100リットルのダッフルバックへのパッキングが始まる。分担して持参する共同装備などを忘れないように。
暑くてビールをよく飲み、減量できず増量となってしまった。

2012年9月13日 (木)

相模メモリアルパーク・・・お墓参り

2012.09.13(木)晴れ・残暑

Img_8578
お彼岸はまだだが、一足早くお墓参りにでかけた。両親らの墓地は丹沢山塊がよく見える斜面にある。よく整備されている大規模な公園風の墓地である。

Img_8577
近隣の墓石には、OO家と刻まれているだけでなく、いろいろな字や図柄などが刻まれているものがある。
次男である私の墓地もこの近隣に確保してある。どんなものを刻むか考えるのも楽しい。

2012年9月11日 (火)

河出書房刊 [インドラサン登頂]を入手

2012.09.11(火)快晴

Img_8568アマゾンの通販で探し、今回、福岡の古書店(@1,100)から送ってもらった。今から50年も前にOB会のAACKではなく、現役の学生隊である京大山岳部パーティ(注1.)が登攀で苦労の末、インドラサン(6,221m)に初登(1962.10.13)したドキュメント。1964.02初版、河出書房新社刊、当時の定価は250円。
この本でこの隊のBCまでのアプローチがMalana Nalaからであったことを知った。

この谷の中ほどにあるMalana村に関し、言語も他と異なる外界から隔絶された異質な村であったという興味深い記述を見つけた。インドなので複雑なカーストは当然としても閉鎖的な村の独特な自治や慣習などに関する記述が目を引いた。

現在ではアプローチは、Manali寄りの距離の短いDuhangan Nalaの谷からが一般的。



Img_8569

なお、隣接しているディオ・ティバ(6,001m)には、奥山章らが1969年春にDuhangan Nalaを辿り、頂上からスキー滑降に成功している。(注2.)
インドラサンに比べるとディオ・ティバは、数段登りやすいピーク(もちろん天候や積雪などの条件に恵まれればという前提)として、一般のガイド登山でも募集されていることがある。

今回多分、ディオ・ティバに登頂したあと、日数が足りなくてインドラサンは試登に終わるかもしれない。天候への懸念から時期は、モンスーン明けの比較的安定が望める10月を選んだ。

『京都北山から-自然・文化・人』 京都府山岳連盟編著2008.11ナカニシヤ刊・・・読んでいたら、関西岩峰会による1972年、インド・ラサン南壁初登攀&ディオ・ティバ登頂という1行の記述を見つけた。ぜひ記録を読んでみたい。(注3.)

(注1.)1962年のインドラサン初登頂に続いて、同山岳部の現役学生隊が1964.10.15にネパール・アンナプルナ山群にあるアンナプルナ南峰(7,256m)の初登頂に成功した。その様子は『ガネッシュの蒼い氷』1966.9朝日新聞社刊に詳しい。20~23歳の学生4名が執筆を分担している。仲間のこと、準備から登頂、その後のトレッキングまでを夢と希望、そしてチャレンジに満ちた様子が、若者たちのみずみずしいタッチで描かれている。私、若いときにはそういう雰囲気の山岳部に憧れ何回も読んだ。
(注2.)『ザイルを結ぶとき』奥山章著 1973.7山と渓谷社刊
(注3.)1972年、関西岩峰会によるインド・ラサン南壁初登攀&ディオ・ティバ登頂の記録が『岩と雪』30号・『岳人』1972.7号?に掲載されているという。

2012年9月 9日 (日)

海外登山前の高所順応の一環として富士山へ ①

2012.09.09終日晴れ・・・もう夏の空ではなかった。
海外登山前の高所順応トレーニングの一環として、日帰りで富士宮口から往復した。早朝に出発すれば東名経由で新5合目まで車で自宅から2時間で行ける。午前3時半に家を出た。帰路は事故渋滞で倍以上の時間がかかった。
過去5回ほどきているけどいずれも新雪か残雪の時期で、雪のないのは今回初めてのこと。
天気が良く視界極めて良好。登る方がまだ多く、駐車場は満杯。
Img_8536
一応山小屋が営業するシーズンが終わったとはいえ、人は多い。登山道では何人か横になったり、酸素不足の顔色になっている方とか、高度の影響を受けている方を見かけた。

Img_8562
眺めは終日よし。沼津方面

Img_8540
外人さんも結構目立つ。富士宮口頂上、浅間神社奥社前

Img_8554
火口

Img_8558
御殿場口より上がってくる人々。

Img_8549
剣ヶ峰3,776mにて。帽子は汗でムレルのでタオルを被るのがいい。

Img_8560
荷上げ用のブルドーザーの道

Img_8564
秋の兆し

先月、水が溜まった膝関節の調子も確認した。膝サポータ―は必要だ。ミウラBCで教えてもらったとおり、腹式呼吸で意識して酸素を取り込みながらゆっくり上がる。3.5時間で頂上に達しお鉢めぐりを含め3時間余をここ標高の高いところで過ごしてから下山した。とても歩きにくく2回こけた。
朝準備したため、肝心のパルスオキシメーター(血中酸素濃度測定器)を忘れてしまった。
できれば出発までにもう1回上がっておきたい。

2012年9月 4日 (火)

ミウラBCでの低酸素訓練

2012.09.04(火)晴れ
Img_8521
2年前から海外登山にでかける時、使わせてもらっている。高所低酸素時での呼吸の仕方を計器を用いて科学的に教えてくれる。頭ではなく体で覚えることが大切だ。この施設は代々木にある。
一昨年はインド北部の山岳において4,800mのC1で夜中に高山病を発症させて悔しい思いをした。順応に失敗した。このときは5,000mが最高到達高度だった。
昨年再びインドヒマラヤで5,000mの峠越えをアプローチにとったため、うまくいった。5,900mまで上がれて成功した。
今年6月のデナリでも順応は大きな問題はでなかった。4,300mのBCから5,000mのコルを往復してから後日アタックにでた。このときは事前に5月に富士山頂を往復しておいた。
Img_8523
二つある常圧低酸素トレーニング室の一つ。窓から室内を見たところ。
個人差が大きいとはいえ、体の反応としての馴れや経験がとても大切だと思う。4,000mと5,000mの高度がひとつの壁のようだ。でもなんだかんだ言っても体力のあることが前提条件だ。
この日は、中1年空いたので、体力測定も受けた。
体脂肪率22%(要20以下)、体格指数26、基礎代謝1612kcal、肺活量3780㏄(60歳相当)、閉眼片脚立ち42S(これは23歳相当)、安静心拍数55、動脈の硬さ=健康な63歳男性と比べてやや硬めとの結果だった。
1回目の低酸素訓練は、4,500m相当のO2濃度でスタート。
この日はゴー太クンがインストラクターとして対応してくれた。
次回は12日にゆく。

43年も前のこと、強靭な体力を誇った先輩が、高度障害が原因であえなくネパールの高峰で亡くなったことがあった。まだ高所医学が進展していなかった時代だ。今だったら死には至らない登り方をしただろう。残念に思う。

2012年9月 2日 (日)

信州東部方面、旧中込学校と野辺山の天文台

2012.09.02(日)曇り一時雨

Img_8458
前日に佐久にきて山岳会事務所にてインドヒマラヤのミーティングを行なった。
4人の団塊世代のオジサン登山隊。5名のはずであったが、うち1名がこの8月に愛媛石鎚山の谷で突然の事故で奥さんが亡くなられたため、参加できなくなり最終4名となった。

翌日曜日朝解散、天候不良で往路を戻ることにした。途中3回目の訪問となる旧中込学校に立ち寄り、さらに以前から気になっていた野辺山にある国立天文台の施設にも寄ってみた。

Img_8460
重要文化財・国史跡に指定されている佐久の旧中込学校。明治5年学制発布。建物は明治8年末に落成し開校された。そこには江戸時代からの寺子屋教育の流れがある。ここではお寺の施設が活用されたようだ。
軽井沢以外はマイナーな感じの信州東部地区ではあるが、佐久はかつて中山道など各街道が交差する交通の要衝としておおいに栄えた。その中心にある岩村田の町にはその面影を感じることができる。

Img_8491
戦前の修身の教科書、いまでいう小学生低学年を対象に基本的な道徳教育に相当する内容。「仁義忠孝」に代表される儒教思想に基づいたもので、戦前は筆頭科目であったという。

Img_8476
展示物・・・この学年修業証書には長野県平民とある。この族称は幕藩社会体制崩壊後の明治維新に四民平等を宣した際、農工商をまとめて平民とした。社会の枠組みが大きく変化した当時の明治政府は、社会構造の調整に随分苦労があったと思う。後の戸籍法の改正でこの表現は消滅した。
----------------------------------------------------------------------------------------

Img_8514
ここは宇宙そのものを研究する電波天文学の世界でも最先端をゆく観測所。

Img_8495
野辺山の国立天文台施設。世界最大級の電波望遠鏡、奥の巨大なアンテナの直径は45mある。左側に見えるレールはアンテナ移動用のもの。
宇宙の謎に迫ってゆく観測施設なので、わくわくしながら想像に想いを巡らすことができる。JAXA相模原の施設とともに、今の時代には足りない「夢や憧れ」がここにはぎっしり詰まっているように思う。
----------------------------------------------------------------------------------------

Img_8519
帰路の中央道/須玉ICへの途中、たかねの湯南にあるお蕎麦の店に寄ってみた。過去仕事柄、美味しいモノをたくさん食べてきたが、たどりついた先がシンプルなお蕎麦。
毎回微妙に感じが異なる印象あり。とても美味しいと思うときと、ナンダ?と思うときがある。手打ち蕎麦の出来はそれほど微妙だ。今回は風味が足りないなと思った。せいろ大盛り、注文してから意外と早く提供された。昼時の作り置きか、私の体調や季節の違いのためか。
先月、小川山の帰りに寄ったおばあちゃんらが打つ川上村の蕎麦店はとても美味しかった。

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »