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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

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2012年7月

2012年7月31日 (火)

2012屏風東壁 雲稜ルートの登攀

2012.07.31(火)快晴
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07.28(土)晴れ時々曇り

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朝7時、上高地で大阪組4人とドッキング。別途夜行バスで到着したH本さんの奥さん率いる関西マラソンチーム女子隊6名(=横尾-蝶が岳-燕岳縦走隊)とも一緒になり、横尾BCに向かった。

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横尾キャンプ場での我らパーティメンバー。T田、H本、K田

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この日は同じルートを登る2パーティの5人で徒渉ポイントを確認しに行った。

07.29(日)晴れ時々曇り.
2時起床、ヘッドランプを点灯して3:10a.m.出発。徒渉ではネオプレーンの沢用靴下を着用。アプローチのT4尾根から実質登攀開始。S山さん・S方さんペアからスタート。4PでT4に到着。
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T4ではすでに先行したS山、S方のお2人が1P目を登攀中。

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Ⅴ&Ⅴ+の2Pをリードしてビバークもできる安定した扇岩テラスへ。T田さんに続きH本さんが上がってきた。

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3P目、人工A1をリードするH本さん。

4P目は腐れシュリンゲが恐怖だった。

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胡散くさい岩場を越え、そして最終ピッチの濡れた泥ガリーを登り、大テラスに達して終了。
ここに先行したお二人が先に下山するとの連絡メモが残されていた。145.06の無線はつながらず。後で聞いたら涸沢への下山中に1回だけ受信したとのこと。

さすが、特選クラシックルートと納得した内容のルートだった。
2時間近くかけて踏み跡をたどり屏風の頭を越え、時間切れ日没時、パノラマコースに下降するポイントにビバーク適地をみつけ、T田さんを挟み、ツエルトとアルミシートで3人の楽しいおしゃべりビバークとなった。とくにT田さんは楽しんでいた。

07.30(月)晴れ時々曇り

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5:10a.m.出発。すぐ直下の踏み跡を辿って失敗。ヤブこぎUターンの後、パノラマコースへのトレースをたどった。展望がとても良い。

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途中雪渓のトラバースがあり、1個所ロープをだした。薄いところを踏み抜きませんように。

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雪渓のトンネルもあった。涼しい。

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まるで絵のような眺望を楽しみながら涸沢に下った。

涸沢ヒュッテで休憩したのち、横尾BCに9:50a.m.帰着。
ビールを飲んだり食事したりして疲れを癒した。

T田さんは、徒渉にはじまりクライミングのA0祭り、ビバーク、雪渓のトンネル通過など盛りだくさんの経験をしてビョーブフェスティバルだったと言ってはしゃいでいた。姫路・雪彦山での特訓が功を奏したようだ。

昼に出発して、2:45p.mには小梨平キャンプ場に着き、ここで皆さんと別れて信州大山岳会OB会のテントの人となった。暑いところに帰りたくなかったので・・・。もう1泊。

2012年7月25日 (水)

今回見かけた高山植物

2012.07.25(水)晴れのち曇り

7/20-24の北アルプス山行で撮ってみたPhoto.でもこれは一部にすぎない。

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キヌガサソウ

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キヌガサソウをマクロで接写

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オダマキ

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ハクサンイチゲ

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イワカガミ

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コマクサ、砂地に開花していた。葉に特徴。マクロで撮影。

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烏帽子小屋前に人工的?なイワギキョウの群生地?、これは関係者の成果?だと思う。

(注)高山植物の名称は、同行したSACの姐さんにサポートしてもらった。

2012北アルプス 雲ノ平・・・45年ぶりに訪れた

2012.07.25(水)
赤木沢と雲ノ平を目的に20日から入山したが、5日間のうち前半の3日間は降られてしまった。21日は雨で、太郎平のキャンプ地で停滞となったため、赤木沢は割愛せざるをえなくなった。でも45年ぶりに訪れた雲ノ平にはとても満足。中学3年と高校2年の夏にここにきている。
今回のコース。富山駅→折立⇒太郎平(キャンプ1-2)⇒薬師沢⇒雲ノ平(キャンプ3)⇒岩苔乗越⇒烏帽子小屋(キャンプ4)⇒高瀬ダム→信濃大町駅

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黒部川上流にひっそりとたたずむ薬師沢小屋。当初計画では赤木沢~黒部五郎岳~五郎沢下降~雲ノ平であった。欲張りすぎたか。
ここから雨の中、3.5時間ほどの登りで雲ノ平に到着。

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翌日(7/23)、天気回復、雲ノ平の池塘群。ここは標高2500mの溶岩台地。

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祖父岳の登りから見下ろした雲ノ平。築2年で木の香りが漂っていた雲ノ平山荘が見える。昔はブリキのカマボコ型の小屋であった。47年前に泊まったときの小屋の食事は、前日の烏帽子小屋と同じ2晩続きのカレー。目玉が映るような具のみえないカレーであったことを憶えている。今回烏帽子小屋の女性に当時のカレーの話をしたら、今の小屋の食事はとても美味しいですよと話してくれた。

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祖父岳頂上から穂高連峰がよく見えた。時おり雲が切れて槍ヶ岳も見えた。

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終日、楽しい夏山縦走となった。野口五郎岳から烏帽子小屋に向かう。途中、設立100年を経過したという老舗、飛騨山岳会の方と話を交わすことができた。

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野口五郎岳山頂ではライチョウに遭遇。
夜中には烏帽子キャンプ地で、今回初めて満天の星空を眺めることができた。

翌最終日(7/24)、中学生のときフーフー云ってやっと上がったブナ立て尾根の下りは、2時間20分ほどで河原に降りることができた。途中、今風山ガールファッションの色鮮やかでモデルさんのような若いお二人の女性とすれちがい目を見張った。熟年の方が多い中、際だってみえた。
下山後は大町温泉郷にある「薬師の湯」で汗を流し、JRで帰路についた。

キャンプ地では缶ビールを買うことができ、不足することはなかった。
全く久しぶりのテント泊夏山縦走を楽しむことができた。
2年後くらいには、ここ雲ノ平の近くで高天原温泉のある小屋に2連泊して秘境の温泉を楽しみたいと思っている。

【 費用概算=\33,400 】
交通費13,700、酒類10,400、食料・食費5,100、キャンンプ料2,000、雑費等2,200
※参考価格(烏帽子小屋):ビールロング缶700、角瓶ポケット瓶1000
   雲ノ平ではビールロング缶800、角瓶ポケット瓶1200
  荷上げにはヘリコプターが使用されている。

2012年7月16日 (月)

山岳図書資料目録を作成してみた(まだ未完)

2012.07.16(月)晴れ 暑い

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   ここ数日かけて、所有している山岳関係書籍、雑誌等のリストを作成してみた。まだ未完成。様式は大町山岳博物館付属の山岳図書資料館のリストを参考にさせてもらった。高校生のときからのものもあるが、結構散逸してしまった。個人としては、保有している方だと思う。何回も読み直すし、寝るとき読みながらとか、調べもののときとか手元にあると安心なのでついたまってしまった。
   私にとってはとても大切なもの。興味のある方には見てほしいと思う。
作成中のリスト ⇒⇒⇒ 「sangakutoshorisuto.xlsx」をダウンロード   ※7/26更新済み

 
  山岳関係のみの書棚の右壁に掛けてある写真は、1994年にネパールランタン谷から望遠で撮影した未踏のキムシュン(6,745m)。このエリアの盟主、ランタンリルン(7,245m)から連なる尾根上にある。衛星峰である。
  書棚上には谷川岳一ノ倉沢全景のパネルや地図、その右側には昨年、インド北部ラダックのレーで購入したシルクハットのような山高帽「ティビ/ゴンタ」。ザンスカール地方でお祭りの村を通過したとき、何人かの年輩者が被っているのを見かけた。
   その横のうちわは、転勤で高松に1年いたときに丸亀城内のお店で購入、丸亀はうちわの産地。竹製の手作りのもの。この書棚のほかに数年分の雑誌を保管しているラックがある。

【追記】
  今日、7月なのに自宅付近から富士山が見えた。この時期としてはとても珍しいことだ。

2012年7月15日 (日)

西丹沢中川川 マスキ嵐沢

2012.07.15(日)丹沢は終日雲がかかった。

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短い沢だが、コンパクトにまとまっている楽しい沢。私はここは初めて。

権現山山頂はガスがかかり、涼しかった。

遡行開始9:30⇒権現山山頂11.45・12.10⇒藤嵐沢出合林道13:10

帰路、海老名の居酒屋さんで沈没。

2012年7月14日 (土)

高校野球観戦・・・神奈川県予選

2012.07.14(土)晴
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夏の高校野球、神奈川県予選1回戦。会場のひとつ淵野辺運動公園にあるサーティーフォー相模原球場に行ってみた。午後の試合は藤沢総合対横浜桜ヶ丘、結果は5対2で藤沢の勝ち。
それぞれの応援団がなかなかいい。応援では桜ヶ丘が勝っていたが・・・。

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桜が丘は暑苦しそうなガクラン姿の応援団長や華やかなチアリーダーらを揃えて本格的。花の応援団長はカッコよかったし、チアリーダーたちは可愛いかった。応援する保護者も目立った。もちろんキビキビした動きの選手たちもよかった。残念ながら中盤に連打を浴びてしまった。

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対する藤沢総合側は吹奏楽部チームを中心に奮闘していた。チームの打撃力が素晴らしかった。

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お揃いのバンドチームの青いTシャツの背中には「響け 藤沢 SOUND」とあった。

2012年7月10日 (火)

世田谷散策・ふたつの民家園を巡る

2012.07.10(火)晴れ
友人に案内してもらった。喜多見から二子玉川まで歩いた。
18歳まで世田谷区内で暮らして育ったが、そこは広い世田谷の右下端の奥沢方面で、岡本とか大蔵などのエリアにはとんと縁がなかった。

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次大夫堀公園と岡本公園に民家園としてそれぞれ3軒、1軒の地元古民家が移築展示されている。なんとも日本の原風景らしさを感じるので好きである。
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次大夫堀の民家園では朝採れたという太くて大きめのきゅうりを1本くれた。畑だけでなく、ここには水田もある。

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そして二子玉川、40年以上も前には路面電車で東急の砧線というのがあって、写真の歩道あたりを走っていた。ここにその碑が残っていた。
駅には「ライズ」というショッピングセンターが駅前(玉川高島屋とは反対側)にできていた。しゃれた専門店が入っている。暑くてたまらず、さすがニコタマ、1Fにしゃれたオープン型の洋風居酒屋があって、ここで生ビールを飲んで休んだ。

ここまできたらやはり多摩川の向こうの川崎側、溝の口西口商店街にゆくしかない。
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この一画は昭和30年代の雰囲気が漂っている貴重なところだ。

2012年7月 8日 (日)

June/2012 デナリ関連

2012.07.08(日)曇り、たまに小雨

以下の「山の会カランクルン」HPに付いているブログに今回の山行の記録がH隊長により書かれている。私の写真も使ってくれている。
http://karangkurung-blog.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/2012-5919.html

このブログの最後に事故関連の写真等のページを引っ張りだすことができるファイルが添付されている。iiko.pdfというやつ。
http://karangkurung-blog.cocolog-nifty.com/blog/files/jiko.pdf

分かりやすい現場の解説写真が掲載されている。事実関係は現段階では推測の域をでていないので、後日公表されるであろう正式報告を待つ。

新聞記事「120618sankei.pdf」をダウンロード

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写真はC3のすぐ上の登路、トレースが見える。下っているのは林隊長とSWAMY。降雪で雪崩跡は残っていない。この2人のやや右、上方の斜面が事故現場で、凸凹していそうな雪面にクレバスが潜んでいる。穏やかな斜面でこの下の氷河クレバスに4人が眠っているとはとても思えなかった。
10日ほど前にはパックリ開いて、赤いワンズ(標識)がクロス挿しして警告していた。荷上げの帰り、ホワイトアウト状態で、そちらに行きそうになり、先頭の石川さんに2番手のSWAMYが警告してこれを避けた。ホワイトアウト時の行動は要注意。レンジャーが整備した標識を徹底して探して従うことだ。

2012年7月 6日 (金)

相模緑道緑地は紫陽花がいっぱい。

2012.07.06(金)曇り、はっきりしない天気、午後より小雨

7/2に帰国して、泥のように眠った。翌3日は近くにある黒湯♨のスーパー銭湯にゆき、30分のアカスリをお願いした。すごい擦れた。
7/4快晴、体育館のトレーニングルームで2時間の汗を流す。
7/5曇り、早朝、久しぶりに相模緑道を東林間方向にウォーキング。
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いまが盛りの紫陽花
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ガク紫陽花
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緑歩道に面した羨ましい立地のお家
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花の名前は調査中???
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花きに詳しい友人に聞いてみた。アメジストセージだろうとのこと。
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緑歩道沿い小田急線脇の公園では毎朝、高齢の方らがラジオ体操を行っている。

(追記)
いまウチにいる娘の預かりネコやん(♀7歳)が、近所の動物病院で慢性腎不全(ネコの最も多い病気という)との診断を受け、この1週間で急激に弱ってしまった。入院もした。女性獣医からは、回復の可能性は困難と見放された。昨日も朝、動物病院に連れて行った。体温が36.1℃と低下。家内が懸命に看ていた。

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本日(7/6)、午前11時20分にマーチの最後を看取った。Scottish Foldという品種でなかなか愛らしかった。人なつこい。
今年、孫も成長したので娘のところに返すはずであった。私は家のなかでペットは飼いたくなかった。でも4年もいると愛着がでるというもの。
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このPhoto.は前日(7/5)のもの。エサはもう1週間は食べていない。立ち上がっても立ち上がってもドタンと倒れてしまう。懸命に生きた。もう頼まれてもお断り。

2012年7月 3日 (火)

とりあえず、2012デナリ登山等のレポート

2012.07.03(火)

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6月11日、乗り込む前に持ち込み荷物の計量を行なった。269ポンド(=122キロ)だった。
登山基地タルキートナの飛行場から飛び立ち、この氷河上のランディングポイント(標高2150m)にソリ付きのエアークラフトで着陸した。ここから標高4330mのベースキャンプまで4日間かけて氷河の上をソリをひいて荷上げする。ポーターはいない。画像左側がハンター峰である。もちろん気象条件が悪いと飛ばない。お天気次第。入山時は午後1時から待たされて夕方ようやく飛んでくれた。
帰路はタイミングよく待ち時間なしで、先着していた北アルプス関係者スキー隊の4人と同乗した。
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2012.07.03(火)
まだ長旅で疲れている。そのため、H隊長が会などのMLに送ったメールを引用する。私の印象は一言でいうと、氷河が美しい別世界であったということに尽きる。しかし、ヒドンクレバスは恐ろしかった。

1.6/5成田出発。6/7-9:Mt.レーニア
高度順応のつもりで行ったが、パラダイス(1647m)からアップし、3150mのキャンプ・ミュアでは二晩、テントポールが折れるかと思われた強い風雪に閉じ込められ、ここキャンプ・ミュアからターンした。

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ここから頂上(4392m)までは4~6時間の距離にある。写真はたまたま晴れた瞬間にシャッターを押した。(キャンプ・ミュア手前)※参考資料:岳人:2012.5月号


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レーニア国立公園手前、アシュフォードにある宿泊施設、レーニア・ベースキャンプ、ここに登山用具のお店もある。ガイドの手配もできる。レストランも近所にある。ここに泊まった。Whittaker's BunkHouse 

2.6/11-27:Mt.デナリ
いろいろあった。ランディングポイント出発の朝、前日飛行機が一緒だったインド系アメリカ人が一緒に入れてほしいと云ってきた。ネットで知り合い、予定していたパートナーとは意見が合わず別れてしまったらしい。カシンリッジに取り付くと云っていた。大人のH隊長はOK.。

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C1(標高2350m)では、宮城パーティの事故で一人残ったO氏にお会いした。一日遅れて、H隊長はO氏サポートのため、いったん下山することになった。写真は快晴のC1から眺めることができた標高差約3,800mのデナリ。

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BCまでは年長のIKさん、インド系アメリカ人(10年前にインド南部から家族で移住)と私の3人で氷河の上をそりをひいて荷上げしていった。

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デナリの一般ルートは竹の標識(ワンズ)に案内され、稜線直下には200mのロープがFixedされている。ここから頂上に向けて、ランニングがとれるようスノーバーが随所にセットされている。技術的に難しいところはない。登頂のカギは、天候と体力にかかっている。写真は広大なC4(標高4330m、実質的なBC、メディカルキャンプもここにある。)で、デナリがのしかかってくる。

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この写真はハイキャンプ(5250m)からデナリパス(5550m、正面の窪んでいるいるところ)を撮影。急斜面をアイスアックスとストックで斜めに登ってゆく。パスまで陽が当たらず気温が下がり、風が強く寒くて寒くて、パス直下、アンカレジで購入した高所用ダウンジャケットを着用した。以後、時間は押してくるし寒くて撮影できなかった。デナリパスからは直角に右にルートをとり、ワンズに導かれ、頂稜に向けリッジ左側の斜面沿いに高度を上げてゆく。
われわれより半月早く入山した知合いのいる豊橋パーティ3人は、悪天候に泣かされながらも。2人は登り1人は4330mのBCまでだったという。
ここはガイド登山が多いようだ。登山客はアメリカ人だけでなく、ヨーロッパからもたくさんきている。ブラジル人もいた。ルートはレンジャーがしっかりモニタリングしていた。管理された登路である。
タルキートナにある公園事務所の掲示には登山者数と登頂率が掲示されている。※6/26現在、入山者960人のうち42%が登頂に成功
以下はメール引用
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 カランクルン・デナリ隊は現地、27日午後4時(日本時間28日午前9時)に登山基地のタルキートナに全員無事に下山しました。 私たちは予定通り、現地7月1日午前1時に発ち、7月2日夜に帰宅します。
 現在、出発までアラスカをドライブ中です。

 タルキートナに下山するまでの林とカランクルン隊の行動は、次の通り。
 宮城労山隊の捜索が打ち切られ、扇さんも帰国することが決まり、林は隊に復帰すべく18日にタルキートナからBCに飛び、同日はC1泊。19日はC2泊。20日はC3(11キャンプ)上部の事故現場脇を通りすぎ、長駆、実質的なBCになる14キャンプに到着し、我が隊のテントを見つけたのは22時でした(14キャンプの14は標高14,280フィートの14を意味します)
 石川、栗田、スワミの3名が当然テントにいるものと声をかけると、中から顔を出したのは栗田だけ。
事情を聞くと、20日、17キャンプを目指し、高度順応に上がったが、天気が良いので、石川とスワミは「行けるだけ、行ってみる」と前進したが、栗田は定石通りやるので、14キャンプに戻ったとのこと。
 二人がキャンプに戻ったのは21日午前8時、22時間行動だった。二人はフットボールフィールドと呼ばれる所、頂上まで1時間位の所まで行ったが、急に寒くなり、引き返したと言う。
その日は、一日ゴロゴロして過ごし休養日になった。
 今回は3人だけなので、テントは2張り準備した。14キャンプまでは1張りだけを使い、アタックの時に17キャンプに1張り上げれば足りると考えていた。
 ところが、石川、栗田、スワミの3名が11キャンプに泊まろうとした時、設営中にテントを飛ばしてしまったという。従って、我が隊には今使っている1張りしかないことになるが、幸い、私が再入山する際にタルキートナーで、2〜3人用のテントを購入してそれに泊まりながら登ってきた。テントを飛ばしたなんて知らないから、そのテントはC3においてきた。それを持ち上げ、アタックにはそれを使うことにして、22日(金)はそのテントをスワミが取りに行くことになった。
 その出発準備をしている時、スワミが途中で知り合った登山者から気象情報をもたらす。それによると24日(日)〜26日(火)は天候が崩れ降雪があると言う。ちょうど私たちが頂上アタックを予定していた頃だ。27日が晴れてもすぐにアタックできるかは疑問だし、下山が帰国予定日のギリギリになってしまう。
 そこで、今晩24時に起床、23日午前2時に14キャンプを出発してワンディで頂上を狙うことを提案する。
私は前回、会友の山下きよしさんと二人で、ワンディアッセントをしたことがあるので、順応ができている人には可能である。今回、石川とスワミは頂上まで、あとわずかと迫っている。栗田も5000mの順応を獲得できている。私の順応を待っていたら登頂のチャンスを逸し、時間切れになってしまう。
石川、栗田、スワミの3人は私の提案に同意し、17時、まだ陽は煌々とする中、眠りに着いた。
 そして予定通り、彼らは22日24時に起床し、23日2時に出発。スワミは出発直後から調子が悪かったそうで、17キャンプで石川、栗田の二人から14キャンプに戻るよう言われた。泣いて「一緒に行く」と訴えている所に、レンジャーが来合わせ、スワミに17キャンプでツェルトを被って待つように、日本人二人はサミットに向かえと決を下したので、スワミは渋々それに従ったそうだ。
 その日はキャンプ14から見ていると晴天で、穏やかに見えたのたが、実際には風が強くて、寒く、石川と栗田以外には他のパーティはだれも頂上に向かわなかったそうだ。
 そして二人は23日16時にサミット。同ルートを下降し、途中でスワミと合流して、23日の23時頃、14キャンプに帰着した。※約21時間行動
 24日(日)は予報通り雪が降り、停滞かと思われたが、午後から青空ものぞいてきたので、14キャンプを撤収して11キャンプまで下った。スワミはまだ、時間があり、もう一回アタックするのでデナリに残るが、テントが無いので、11キャンプのテントを使うため私たちと一緒に11キャンプに下った。
 25日(月)、スワミは14キャンプに戻り、私たちはBCを目指す。ホワイトアウト状態で、C2まで標識を頼りに下るが、C2の少し下で、次の標識が見つからなくなってしまった。しばらく待機するも視界は開けず、天地、前後、左右の区別もできない状態で、なんとかC2まで戻ってテントを張る。
 26日(火)は視界が回復、フォーレイカ山も見え、楽勝でBC着かと思われたが、C1に到着する頃から昨日と同じようなホワイトアウトになり、BCに着いても、飛行機は来ないだろうからとC1泊。
 27日(水)、やっと天気が回復し、抜けるような晴天の下、汗だくになりながらBCを目指す。気温が上がり、全員、クレバスに何度かはまり込むも大事には至らなかった。
 どういう訳か、昨夜は石川、栗田の両名はお腹を壊し、頻繁にトイレに通っていたので、今朝は全員、食事を抜いて出発。ヘロヘロになってBCへの最後の登り。やっとBCへ登り着く。しかし、またどういう訳か、飛行機への搭乗場所が、従来の場所より約500m上流のハンター北壁近くに変更されていた。ガックリきたが、間もなく飛行機が到着するからと言うので、死力を振り絞って搭乗場所に到着し、間もなくやって来た飛行機に乗り込んでデナリから脱出できた。
 通常なら14キャンプからBCは1日か1泊2日で降りられるところ、今回は各駅停車で3泊4日もかかってしまった。デナリはすんなりと私たちを帰してはくれなかった。
 〽 Hayashi from iPhone

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3.6/28-30:アンカレジ南200キロにあるフィヨルドの観光地Sewardに2泊の小旅行。

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白夜なので夜も明るい。たっぷり4時間のディナー付きフィヨルドクルーズにでかけた。船内の食事はビュッフェスタイルで、レアのローストビーフを分厚く切ってくれた。すっかりツーリスト気分。おなじみのラッコ、クジラの潮吹き、国鳥である鷹、オットセイのハーレム、氷河など双眼鏡で眺めた。

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海沿いはキャンピングカーでいっぱい。アメリカサイズはすべて大きい。1日目はリゾートホテル泊(Windsong Lodge)、2泊目は海辺のキャンプ場泊(10$/テント)。

国際免許を持参していたので、レンタルしたJEEPを若干運転したが、右側通行・左ハンドルは馴染めず、とくにすれ違い時に怖いと思った。

ショッピングはアンカレジのREIとAMH。そしてスーパー Carrs Safeway。

帰路はアンカレジ⇒シアトル⇒バンクーバー⇒成田JL、昨日(7/2)14:20に着陸。17:00ちょうどに帰宅した。体重は5%減。デジカメは742ショット。

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