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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

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2009年5月

2009年5月31日 (日)

河内 富田林の寺内町

2009.5.31 日曜Img_0202   ようやく訪れることができた。

平成9年に大阪府下で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。Img_0207

庄屋だった杉山家が解体修理され、約180棟ある古い家屋で唯一公開されている。防犯用の忍返しが見られる。Img_0222

入口土間から座敷をみる。さらに右には仏間、さらに右奥には奥座敷があった。大きなお屋敷である。Img_0211

台所のかまどが復元されていた。Img_0209_2

超クラシカルな大便所、手前には小便所があった。いずれも木製だ。子供のころ、よく外して叱られたなァ。

Img_0215 「明星」派歌人、大石露子(イソノカミツユコ、本名:杉山タカ)は、杉山家出身で明治末に堺の与謝野晶子らとともに活躍した。旧家を継ぐ運命ゆえの、報われなかった恋心や嘆きが作品に表現されているという。美人である。

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保存地区は450年前の中世から続く町並みが残されていた。

丹波篠山 多紀連山の山歩き

2009.5.30 土曜 曇り時々晴れ 夕方にわか雨

P会IM氏のお誘いで、リハビリウォークに出かけた。火打岩~三岳(御岳)~大タワ~小金ヶ岳~火打岩の周遊コース。Img_0210

山中でIM氏より「卯の花」ときいた。登山道では、鹿の食害がみられた。まためずらしい笹枯れもみた。クリンソウ(九輪草)の群落にも出合った。

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山頂の眺めは三岳よりいい。ここは元、修験道の山で、結構、岩が露出していた。覗きもあった。このあたりは、山岳仏教が盛んな平安末期から室町末期にかけて、丹波修験道の中心として栄え、これを妬んだ本山・大峰との関係が悪かったらしく、1482年、大峰の山伏300人により滅ぼされたという。その寺(新金峰山寺大岳寺)の跡が山中にあった。

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帰路、山ろくの篠山市内の温泉(茶褐色)に浸かった。天気はなんとかもったが、千里中央駅では、激しいにわか雨となった。

2009年5月30日 (土)

飛田新地の「鯛よし百番」




2009.5.30 土曜 

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建物は大正期に建築された遊郭で、文化庁から登録有形文化財として指定されている。夕方6時集合  TJ氏が予約してくれ、友人知人の計5名で行ってきた。料理は会席コース。

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絢爛豪華な貴賓室があった。入口は日光東照宮の陽明門を模したもの。

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巨石を配した立派な中庭があった。

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住吉大社の太鼓橋を模したミニ橋を渡り部屋に向かった。

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廊下には壁一面に秀吉を描いた絵があった。

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貴賓室の天井には竜が描かれていた。手をたたくのを忘れてしまった。

大正時代のこの周辺の様子は窺い知れないが、格式の高い遊郭であったのだろう。内装はある程度傷むままとなっているが、かえって当時を偲ぶにはいいと思う。近くに通天閣界隈の「新世界」があるが、ここは「別世界」である。その時代の仇花であったかも知れないが、保存すべき貴重な建築物であることには変わらない。教科書には決して掲載されない。

2009年5月25日 (月)

お奨めの1冊

2009.5.25 月曜 晴れ

「冒険者たち・ガンバと15ひきの仲間」斎藤惇夫作・薮内正幸画(岩波少年文庫)Img_0005_2

はまりました。思春期向け児童文学という範疇の本だそうだ。5月7日の日経夕刊文化欄で記事を見つけ、読んでみたいという衝動にかられ、早速アマゾンで手配した。37年まえの作品だそうだ。あらすじは、新聞の記事に詳しい。「20090507jidoubunngaku.tif」をダウンロード 長編ながら全編にわたるその臨場感は賞賛に値する。物語の展開もさることながら、挿絵が良く、読んでいると紙芝居かアニメーションをみているような錯覚に陥った。ネズミたちの飲めや歌えやの大宴会やイタチたちとの闘いなど、容易に頭のなかにそのシーンが投影されてくる。会話が多いので、声を出して読み進んだのが正解であった。

 動物を擬人化してストーリーは展開するが、なかでも登場するネズミたちの名前がいい。ドブネズミの主人公ガンバのほか、①町ネズミ=マンプク、②港ネズミ=ボーボ、ジャンプ、③船乗りネズミ=ヨイショ、カリック、イカサマ、テノール、バス、パレット、イダテン、シジン、アナホリ、ガクシャ、④島ネズミ=忠太、オイボレの15名の仲間、さらに忠太の姉で懸命に生き、最後にガンバとの愛を確認できぬままノロイの一撃で果ててしまう可憐な潮路、ネズミたちと対決するイタチのリーダー、白い毛のノロイ、そして留守中にノロイ一味に子供たちを食べられたオオミズナギドリのリーダー、ツブリがその主な登場人物で、それぞれを個性豊かに描写している。ぐいぐいとひき込まれた。

今年還暦を迎えるが、久々にピュアな気持ちになった。この記事を読まなければ、この本に出合うことはなかった。

新緑の奥多摩・三頭山

2009.5.23 土曜 晴れのち曇り

Img_0075 2組の友人ご夫妻といつも連絡を取っている世話役のN氏の6名でハイキングに行った。

Img_0049 お昼の食事は頂上下の休憩所でご覧のとおり。奥様方お手製のもの。

Img_0055 1300m以上では、それまでの人工林からブナの自然林となった。新緑が美しい。頂上付近には岳樺もあった。

登山口の数馬には温泉や宿泊施設などが完備されている。交通機関を使って来たが、結構遠かった。晩秋には泊まりできてもいいと思った。

里帰りの娘と孫のお見送り

2009.5.22       金曜Img_0040_3

娘と孫を夫婦で新横浜まで送っていった。孫のおかげで楽しくすごさせてもらった。ちょっとした仕草、変化する表情や寝顔、体の動き、どれをとってもいいものだ。インフルエンザ対策でマスクをつけさせたが、フィットしていないし、その効果は疑わしい。Img_0038生後5ヶ月になる。

我が家に咲いたシャクヤクなど

2009.5.21  金曜

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4月の牡丹に続いて、今年もシャクヤクが美しく咲いた。今年の花は2輪であった。フェンスには松葉菊が垂れて、これまた開花絶好調となった。Img_0040 Img_0035

【追加】 2009.6.18 移植して初めてたった一輪、クチナシが開花した。いつも青虫に食われている。

090618kutinasi

孫と「湘南モールFILL」へお買い物

2009.5.22  木曜 晴れ Img_0010_2

里帰り中の娘の希望により、藤沢のショッピングモール「湘南FILLBABiesRus」へ孫も家内も連れて買い物にアッシーで行った。Img_0012Img_0013その店いつの間にか藤沢と辻堂の間のJR沿いにできていた。記憶は定かではないが、日本精工の工場跡地ではないか? やや疑問だが・・・。

ふと新宿西口・思い出横丁

2009.5.20 水曜 快晴

出張先からの帰路、新宿西口に寄ってみた。Img_0015 懐かしさ漂うオヤジ好みの横丁は健在であった。確かかつての火災で整理されたかと思っていた。思い出横丁と看板に書かれているが、学生時分はションベン横丁と私らは呼んでいた。Img_0017 昔は安い鯨のカツもメニューにあった。豚の特殊な内臓(タマ刺しとか骨の髄液など)を食わせる飲み屋もあった。Img_0021 いまは焼き鳥屋が多い。ビールを頼み、うな重@1050を食べて帰宅した。

 西口にはこんなビルもできていた。Img_0027

2009年5月17日 (日)

佃煮の聖地 田蓑神社

2009.5.16 土曜 曇り  気になっていた。どこにあるのか分らなかったが、新聞記事を見つけたので訪れてみた。大阪西淀川の佃島。聖地の最寄駅は阪神千船駅。詳細は「20090511tukuda.tif」をダウンロード 新聞記事を参照

Img_0174 立派な鳥居(1511年築)

Img_0162 田蓑神社 

Img_0165 佃漁民の石碑と説明板

Img_0171 紀貫之の歌碑 

Img_0161 日野資枝の歌碑

Img_0175 阪神千船駅近くにあった現役の古い長屋

 関西では旬にイカナゴを家庭で炊く習慣が残っている。それぞれの家の味にたいそう自信をお持ちである。私はどちらかといえば、小ぶりのものが好みだ。

 子供のころ、世田谷の家には浦安方面から自転車に引き出し付きの木箱をくくりつけ、佃煮を売りに来ていた。枡単位で売っていた、母はアミの佃煮をよく買っていた。 

2009年5月15日 (金)

ナニワの歌姫 叶れい子さん

 2009.5.14 木曜

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月1回は通天閣歌謡劇場に登場。看板歌姫でトリをつとめる。頭のてっぺんには、ミニチュア通天閣が点滅する。ステージで座り込んだ。

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ハゲのじっちゃんのおでこにチュッ! 大サービス。でもじっちゃんは反応なし。↓
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昨年(2008)2月3日のことだった。

(注)必見!の彼女のホームページがあった。

www.reiko-kanou.jp/

通天閣歌謡劇場の歌姫たち

2009.5..14 水曜07072829_005   過去にデジカメで撮った写真をピックアップしてみた。その劇場は、新世界の通天閣真下の地下にある。地上の入口左サイドには、王将の碑がある。かつて劇場の改装まえには、同じスペースに将棋対局の座敷とステージが同居していた。客席の椅子はいろんな種類のものが、混在していた。お客はご高齢の方が多い。Img_2703 じっちゃんがテープを投げる。
歌手さんは着物が多い。お似合いです。07072829_024

ボリューム・迫力とも満点、演歌歌唱力は抜群でした。07072829_042

ステージと客席との距離が近い。歌手さんは客席に降りて、歌いながら、ご年配のお客さんに握手してまわる。

昨年7月から、開催日が土日から月曜に変わった。12時と15時の2ステージ、入替えなし。当日受付で手続きすれば、いったん外出、再入場も可。当日2回目の歌手さんは、衣装を変えて、曲名も別なもので再登場。

A4のプログラムには、歌手さんの名前の右肩に「通天閣の女王」、「新世紀のクィーン」、「通天閣平成の歌姫」、「通天閣の白雪姫」、「通天閣の大和撫子」、「通天閣の災歌姫」、「通天閣の艶歌姫」などと記されていた。入場料@1500

京橋にも歌謡劇場がオープンされているそうだが、まだ行っていない。

2009年5月10日 (日)

六甲ウォーク

2009.5.9  土曜 快晴 

リハビリウォークの一環、まだ肩への負荷・手を突くのはご法度、若干の汗をかくには、まず六甲くらいがちょうどよい。Img_0150 芦屋川~風吹岩~横池~打越山~住吉谷に変更。芦屋川駅から高座の滝に至る高級住宅街、Img_0158 茶屋からロックガーデンのメインストリートはハイカーでいっぱい。風吹岩からの神戸の街と港。Img_0166 Img_0164

横池ではオタマジャクシの群れに遭遇。本日はイノシシには出会わなかったが、掘っくりl返した跡はそこら中にあった。

下山口には白鶴美術館があり、入館する(@800 )。個人で古美術を蒐集したものである。コメントできないなぁ~。Img_0174

JR六甲道駅Img_0178の近くに天然温泉の銭湯(灘温泉@410)があるので、汗を流し、そこで生ビールを飲んで帰路についた。薄い褐色の温泉で、露天風呂あり、加温していない源泉の浴槽もある。

2009年5月 9日 (土)

肩関節・腱板断裂の治療経過

2009.5.8 金曜 雨、夕方回復
現在では、関節鏡(内視鏡)による手術が優れている。しかし技術を要するため、大阪でも実施できる病院は限られている。2~3ヶ月は待たされる覚悟がいる。その間が、精神衛生上よろしくないが、忍耐が必要。病院の選択はきわめて重要。パソコン上のMRI画像で、鮮明に断裂状況を確認できた。関節内のきょく上筋が完璧に切れていた。加齢で弱くなるという。本来それほど強いものではないらしい。リハビリが重要で手術後最低でも、回復まで半年から1年を要する。私の場合、回復もよく、6ヶ月を目標にしている。

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入院は最低3週間、私の場合は25日であった。全身麻酔のため、気がついたら終わっていた。病院では手術日には1日に3件こなしているという。私の場合、肩には関節鏡を挿入する4箇所の穴をあけられた。前面に3、背面に1箇所。関節内の骨に2本のチタンを埋めこみ、これをアンカーとして切れたきょく上筋を引っ張り覆いかぶせるように縫い付ける。硬くなっている関節の袋を切り、旋回しやすいようにする。骨と筋が生着するには6ヶ月を要するという。

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腱板損傷は50肩とされる誤診が結構あるという。なんとか生活はできてしまうので、治療をし損なってしまうなど、なかなか手術の決心に至らないことが多いようです。ウデが挙がらないというのが、典型的な症状だが、必ずしもそうとは限らない例もある。今月手術を予定している山仲間の女性はその事例だ。ウデはよくまわる。
診断書には、「肩関節形成術を要す」と記してあった。ウデを挙げるとなんとも表現できない重い痛みを内部に感じる・・・。数少ない肩関節の専門医に診断してもらい、痛みの原因を正しく知ることが大事だと思う。あとは手術の決断のみ。クライミングやスポーツの再開まで、最低でも半年の中断は辛いが・・・。

【経緯】
2008.09.14 錫杖岳Ⅰルンゼ登攀後、烏帽子岩西肩を経て、クリヤ谷登山道を下山中にスリップして手を突き受傷。肩がおかしいので翌日の登攀は中止
2008.09.26 かかりつけ整形医にて受診、腱板損傷と診断、保存的治療開始
2008.10.20 MRI検査、→10/24断裂判明
2008.11.12 手術希望のため、紹介状を持って専門病院に転医、受診、12月MRI画像診断で断裂状況をパソコン画面で確認、1月入院前検査と入院準備 
2009.02.02 入院
2009.02.03 手術、翌日よりリハビリ開始
2009.02.26 退院
2009.03.05 リハビリ通院開始~   ※以後、回復は順調に経過している。
2009.08.上 MRI画像診断をもとに、復帰許可OKの見込み?

2009年5月 7日 (木)

相模の大凧まつり

2009.5.4  曇り みどりの日

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相模川の河川敷に4会場あり、ここは新戸会場。128畳ある大凧が、トラクターで巻き上げられていた。Img_0123

大凧は着地してしまった。Img_0134

近くに米軍キャンプがあるため、関係者ファミリーも来ていた。Img_0114

会場は地元自治会の大会みたい。それぞれ場所を陣取り、一生懸命やっていた。Img_0110_5

せともの神社

2009.5.2  土曜 晴れ Img_0111

その神社は御堂筋西側裏の由緒ある神社の一角にひっそりと祭られていた。Img_0110_4 

由来を知り、振り返る方は何人いるだろうか。Img_0121

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手術後、約3ヶ月の状況

2009.5.1金曜 晴れ

リハビリと定期診察で午後、病院に行ったが、なぜか予約時間から2時間遅れての診察となり、結局病院をでたのが、夕方6時45分になってしまった。丁寧な応対をするY医師なので、別に不満はない。手術後3か月近く経過する。経過はまァ順調。そろそろプールでの立ち歩き、平泳ぎ式の水かきを勧められた。浮力を使い大きい動作をするようにと。

4月は随分と関節の動きが改善され、自分でもびっくりするほどだった。上がらなかった腕がかなり上がるようになったが、ここのところはやや停滞気味。しかし、指導されたリハビリは欠かすことなく続けてきた。理学療法士からも、今後は関節内の筋肉をつけていこうとのアドバイス。もちろん重いものは持てないし、ランニングもまだ負担になるのでできない。5・6・7月は復帰のための下半身増強のトレーニング計画を作成して取組まねばと思っている。090501hanakujira

帰路、阪神福島駅の途中に屋台風おでん「花くじら」があるので、ひとり立ち寄った。道路にはみだした小テーブルにて大ビール、熱燗を飲みながら、菊菜、ねぎ袋、ジャガイモをいただいた。お客は女性が4割近かった。

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