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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

2017年1月 9日 (月)

109シネマ二子玉川 MERU

2017.1.9(月)

18時25分上映の予約をNetでとった。109シネマは二子玉川駅のRise-Sc側にある。

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上映中に少々寝てしまったので筋がよく理解できていない?
(注)インドヒマラヤには仲間と3回登りに行った。私はインドの最深部ザンスカールが良いと思っている。(参考図書:ラダック 高木辛哉著 ㊒旅行人)

二子玉川はすっかり変わってしまった。30年も前(1985年閉園)には遊園地「二子玉川園」がまだあったらしい。この路線は1966年に長津田まで延伸した。多摩川を隔てて対岸は川崎市の二子新地だ。ここにはかつて「二子の渡し」があって場末だった。当時の二子橋には国道246号とともにこの橋に東急大井町線が通り、溝の口まで通じていた。

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都内でも有数のしゃれた街に変貌した。東急グループの力はスゴイ。

2017年1月 6日 (金)

アイスはじめ 八ヶ岳南沢小滝&大滝

2017.01.06(金)

1/4()未明自宅出発、

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美濃戸 美濃戸山荘前、雪の状態はこんな感じ。積雪とはいえずしばらく降雪がなかったのだろう。

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南沢の小滝10mのアイスはこんな感じ。右サイドが貧しい。センターよりやや左側は、水滴がでていたが濡れることはなかった。中央部分と右側の結氷状態は問題なし。日蔭だが寒くない。

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リードしてトップロープをセット、何回も練習した。誰も来なかったので一日貸切りとなった。

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ルートは4つほど取った。今シーズン初アイスなので、ピックの掛かり具合やアイゼン、アイススクリューなどテストしてみた。

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美濃戸口のJ&Nで生ビール、パニーニとコンソメ

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大滝、まだ誰も来ていない。

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正面左から登ったが、ここでは水が滲みだしていた。

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お隣さんは、左端から回り込んで、正面にトップロープを架けていた。

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直線で25m、ここに上がり、左にトラバースして木でビレー。濡れてしまいロープも凍ってしまったため、右上に行くのはやめてここから懸垂で下りた。

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この日はわれわれと2パーティのみ、平日はよし。

帰路、甲府バイパス沿いにある24時間温泉「カイセン」に浸かり、1/6朝帰宅した。


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美濃戸口、一昨年11月にオープンしたイタリアン。1年ぶりだが、店内には新たにマキストーブを置き、外にはウッドデッキを設置されていた。シベリアンハスキーの小屋もここに移動。

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駐車スペースには車止めも新たに設置されていた。
しばらく降っていないためか陽当りのよいところには雪がない。

2017年1月 2日 (月)

丹沢見晴茶屋にて・・・迎春

2017.01.01(日)

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12/31 大晦日のうたごえ

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12/31 ここは標高300mながらこのテラスから秦野、平塚方面の夜景が楽しめる。暮れてゆく、そしてカウントダウン 

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1/1未明、もち米を蒸し始めた。2時間近くマキストーブにはめたこの羽根つき釜で蒸し上げた。
もち米にもグレードがあるそうで、高級もち米を用意したという

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1/1 つきたてのお餅のつけ汁が25種類作られる。私はシンプルなワサビ醤油が好きだ

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初日の出が江の島の右あたりから出てきた 6:57a.m.

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餅つきが始まった

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スタンバイ

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つきたてのお餅を食べ始める。ここに泊まった人は総勢42名だった。朝に続いてお昼にも雑煮をいただいてから下りた

2016年12月25日 (日)

2016日本ハンドボール選手権 決勝

2016.12.25(日)



北国銀行HPから借用・・・この選手の名前は不明、美しいシュートスタイル

早いパスまわしでディフェンスをすり抜けたハンドボールの典型的なジャンプシュート、ここでまだ着地前のGKとの駆け引きも残っている

久しく観戦する機会がなかったが、山にも行かない日だったので、会場となっている世田谷の駒沢オリンピック公園体育館に行ってみた。一般席の入場券は@2500、高齢者割引はなかった。
中学生のとき部活はハンドボール部だったので、いくつになっても観戦したいと思っていた。女子男子の決勝はいずれも延長戦となり、運が味方するかどうかで勝負が決まる、そんな好ゲームだった。

女子決勝で注目した選手は北国銀行チーム(石川県金沢)で背番号14の河田知美さん(26歳、大阪体育大出身)。25得点のうち9得点を挙げていた。ポストプレー、カットインなど切れ味のよい動きだった。決して当たり負けしない。7mスローでも3本全て成功させキラリと光った。

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オムロン(熊本)はピンクのユニホームが鮮やかだった。

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相手のファールによる大崎電機チームの7mスロー、サッカーでいうペナリティーキックに相当する。

ハンドボールはラグビーやサッカー、バレー、バスケがあるので、相変わらずマイナーではあるが、結構当たりの強い球技として気に入っている。久しぶりに心がときめいた。

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女子はオムロン、男子は大崎電機が優勝した。それにしてもかつての名門、大崎電機女子ハンドボール部はどうなったのだろうか

2016年12月24日 (土)

丹沢 見晴茶屋の荷揚げ

2016.12.24(土)快晴

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年末用に荷揚げが必要とのことで、前日の12/23 10時半に大倉に行った。二人で約100キロ程度の食料と飲み物を荷揚げした。私はビール4ケースとずっしりと食料が入った段ボール1ケースを担当。しっかりと汗をかいた。ここの山小屋では大晦日にはカウントダウン、元旦は餅つき大会が恒例の行事になっている。

朝、テラス上に散らかる落ち葉をほうきで掃いた。ハイカーが休憩するテラス下にある広い板敷(バイオトイレの浄化槽を覆っている)上の落ち葉を掃き、雑巾で拭き、緩んだビスの締め直しなどの作業をした。

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前日の午後から寒気が入って、視界がとても良くなった。湘南海岸、江の島、茅ヶ崎、平塚、大磯、高麗山など。左奥には逗子、房総半島など。

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西湘方面、真鶴半島、伊豆半島、天城山、大島など。

2016年12月20日 (火)

丹沢大山の山頂にて

2016.12.20(火)

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8:00すぎに鶴巻温泉駅を歩きだし、11:00には高取山、蓑毛乗越でおにぎりなど食べ、14:30には大山山頂に着いた。ここで高級ソーセージをボイルして食べたあと、おでん鍋となった。別途買い求めたはんぺんを最後に入れて温めた。缶ビールと焼酎湯割りも、というわけで大休止となってしまった。このジェットボイル鍋は優れものだ。
下山時、途中でヘッドランプを点けて参道の登山口バス停には17:30着となった。よく歩いた。

2016年12月10日 (土)

ネパールから帰国

2016.12.10(土)快晴

11月4日早朝に出国。大韓航空にて仁川空港経由で夕方、カトマンズ空港へ到着し、以後12月9日までネパールに滞在した。

本日、成田空港には午前11時半に着いた。空港はとても空いており、12時10分には相模大野、町田方面のリムジンバスに乗ることができた。横浜町田IC出口付近の渋滞があったが、午後2時すぎには相模大野駅で下車し、荷物が多くタクシーで自宅に戻った(14:30)。

ブログは日記なので日付を遡りながらメモや写真などをもとに、整理しながら記入してゆくことにする。
主な日程は以下のとおり(要約)。季節はポストモンスーンで天気はすべて快晴。

①11/6⇒カトマンズ~(空路)~ルクラ~カラパタール(5,545m)~アイランドピーク(5,800mまで)~アマダブラム(5,800m、C2直下まで)~ルクラ~カトマンズのエヴェレスト街道トレッキング&クライミング
目的のアマ・ダブラムには登頂できず。アイランドピークさえピークハントできなかった。事前のトレーニングが不十分だった。現地の高所順化プログラムには問題ないし、分かっているはずの高度順化さえうまくゆかず甘かった。準備不足とともに次回にむけての十分な反省が必要だ。

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11/12夕方、カラパタールより、左奥にエヴェレスト(8,848m)と右手前がヌプツェ(7,879m)。

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11/21アマダブラム C2手前で体が上がらなくなり、残念ながらそこからターンして終わった。まだここから頂上まで高差はまだ900mくらいはある。

②11/28⇒カトマンズ~ポカラ~ジョムソン~マルファー~Lodge Thasang Village(泊)~ポカラの旅

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11/30中部ネパールの主峰ダウラギリ(8,167m) Lodge Thasang Villageの屋上より

③12/3⇒カトマンズ~直線距離でポカラに向かう道路で西方向、約30キロにある町Galchから歩きはじめ、Patle集落までの民泊トレッキング

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初日の12/3、スンタールSuntarにて、たまたま野外で行われていた村を挙げての小学校教師同士の結婚式(ヒンドゥー式)に出くわした。Photo.の中心が新郎新婦。

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12/6には民泊した集落Patleでチベット仏教式の葬儀にも出会った。麓の郡都DHADING BESIのお寺から僧侶ら5人が来ていた。
山間部の集落では、2015.4.25の震災のダメージが深刻であった。復興は相当な年月を要しそうだ。

④12/7~12/9⇒カトマンズ周辺(バクタプール、ボーダナート、パタンなど)

2016年12月 9日 (金)

カトマンズ近郊へ③ パタンPatan

2016.12.09(金) パタン

日本で知り合った横浜在住&勤務のネパールの方のご実家がパタンにあり、この朝にパタンの市街地のご実家を訪問した。近隣にCollegeが4つもある地区でお家は5フロアのお宅だった。朝食をご一緒させていただいた。

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卵焼きのあとにダルバートをいただいた。

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宿の近くの交差点はこんな具合だ。New Baneshworの街

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道路のアスファルト舗装はこんな具合。一部だが良くなった。

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交通警察官もマスクした方がよい

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乗り合いの車では、必ずしも閉めて走るということがない

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空港出発待合室

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このラッピングサービスは@500、ザックなどカギのかからないものは、ここで頼んだ。

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帰路、20:30カトマンズ発 大韓航空KE701⇔5:30ソウル/インチョン9:05⇒11:35東京/成田
※週3便ある大韓航空が便利で快適。時差は3時間15分

2016年12月 8日 (木)

カトマンズ近郊へ② ボーダナートBoudhanath

2016.12.08(木)

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2015.4.25の震災では、この仏塔で目玉から上の部分が倒壊したそうだ。しかし主にチベット仏教の信心深いシェルパ族から豊富な募金が集まり、修復されたという。シェルパ族はいまやお金持ちだそうだ(聞いた話)。

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世界最大のストゥーバ(仏塔)

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デジカメやスマホの普及でほとんどお金のかからない写真が撮れる。ここではこんなシーンがあちこちで見られた。

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大きなストゥーバ(仏塔)の周りにあった寺院にて

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中国から訪れたチベット仏教の僧侶一行と合同でお経を上げていた。右側にいた若い僧侶は読経中にスマホをみていた

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これはカトマンズ市内にあるスーパーマーケット。というよりも何でもそろう百貨店だ。正面に駐車中の車はマルチスズキとヒュンダイ

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もちろんレジで支払いをする。疲れる値段の交渉はない。便利ではあるがここに車で買い物に来られる市民は一握りだと思うが時代の流れだ。このチェーンスーパーは市内に20数店舗を展開しているそうだ。

山間部の集落を見てきただけにカトマンズとの生活格差は大きい。カトマンズだけが物価高、観光以外目立った産業もなくカトマンズの若者の半数は海外に出稼ぎに出ているという(ネワールの人から聞いた)。

2016年12月 7日 (水)

カトマンズ近郊へ① バクタプールBhaktapur

2016.12.07(水)

  カトマンズの東南東15㎞にある盆地第3の都市。ヒンドゥー教の色彩が濃い。濃厚な中世的雰囲気の漂う旧市街地が丘の上にある。工芸美術品の町パタンに比べ焼き物や織物などの実用品を多く生産している町だ。別名バドガオンは「信仰の町」の意味。9世紀の王朝により作られた。17世紀にはすでに9kmに及ぶ下水道システムを備え高い文化水準を誇った。マッラ王朝時代にはチベットとインドの交易基地でもあり商人たちはここで出入国税を納めた。物資と文化の拠点だった。しかし、ゴルカ王国の盆地支配とともに政治や経済の中心はカトマンズに移り、自由交易となったため町は衰退の道をたどったという。
ここまでローカルバスで25NRS(25円程度)。※NRS=ネパールルピー

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ネパールでは最も高い36mの高さを誇る「ニャタポラ寺院」

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王宮の「ゴールデンゲート」

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王宮 「55窓の宮殿」

王宮エリアでは地震被害の復旧工事が行われていた。王宮の建物内にはヒンドゥー教徒でないとの理由で入場を断られた。ここの歴史保存地区への入場は、外国人は1500NRS(1500円)が必要だった。ちなみにパタンとカトマンズの保存地区では1000NRSの入場料が必要だった。
王宮エリア内の周囲を見渡すことができるルーフテラスのあるレストランでゆっくりと時間を過ごした。一人で動いたので気を使うことなく適当に過ごせてとても満足した。

ほかにダッタトラヤ寺院などみてまわった。
ここの寺院まで道案内してくれたお土産屋さんの売り子の女の子にお金を渡そうとしたら、見張っていたらしいポリス2名が現れ、子供にお金を渡すなと言い子供を追い払ってしまった。

 

2016年12月 6日 (火)

カトマンズ近郊でトレッキング④ パトレPatle

2016.12.06(火)

 12月3日より山間部の民泊トレッキングにでかけた。そこで目にしたのは、2015.4.25の地震の傷跡である。このあたりは震源に近く、潰れていたり住めなくなった家屋、急場しのぎのバラックなど。水が不通になったり学校が壊れたり・・・。胸が締め付けられる思いがした。そんな中で各集落では結婚パーティの参加、小学生との交流、お葬式などがあった。
Photo.は3泊目のPatleの集落から遠望(望遠撮影)できたマナスル8,125m。

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すぐ裏のお宅ではお葬式があった。昨晩からチベット仏教のお寺から5人の僧侶らがやってきて文字通り夜通しの通夜となった。

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ここから2年前に開通した林道に中型バスが通じたという。帰路9時すぎのローカルバスに乗った。身動きできない満員大混雑の中、大揺れで谷に転げ落ちのではないかと思うほど恐ろしい1時間余であった。車内にはインド音楽が流れていた。座席通路には4頭のヤギとプロパンガスボンベ3本、屋根にもダッフルバッグなどの荷物の他に別途さらに4頭のヤギが載せられた。八ヶ岳の美濃戸口から美濃戸への林道なんてものではない。泥道が大きくえぐられたとんでもないガタガタ道で、いつかこのバスは転倒して谷に落ちるのではないかと思ってしまった。安全運行を祈るばかりだ。
このバスの最後部には大きな絆創膏を顔や頭に貼った中年の男女2名が治療を受けに乗っていた。前日ポリスに連行されたおばちゃんから暴行を受けた方だ。すごい暴れ方をしたようだ。

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このローカルバス、とにかく無事終点、郡都である大きな町ダディングベシDhading Besiに着いた。ここでカトマンズ行きのローカルバスに乗り換えた。そのバスでも車内はインドミュージックをボリュームアップ。聞いたことのある曲が流れていた。数年前にインドのマナリで買った歌謡曲CDの1曲であった。

2016年12月 5日 (月)

カトマンズ近郊山間部の地震被害

カトマンズ近郊の山間部、歩いた主な村は以下のとおり。
カトマンズKathmanduからポカラPokharaに向かう主要道にあるガルチGalchhiからトレッキングスタート。スンタールSuntar⇒カレリKalleri⇒スナウラバザールSunaula Bazar⇒パトレPatle⇒(バス)⇒ダディングベシDHADING BESI⇒(バス)⇒カトマンズ
(注)地名のアルファベット表記は地図などによりスペルは異なることがあるが、発音をアルファベットで並べているだけなので細かい差異は気にすることはない。アバウトでよい。

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とても住めるなんてものではない。当時の揺れでお住まいだった方の恐怖はたいへんなものだったと思う。私も関西にいたとき豊中市で阪神淡路大震災を経験した。瞬間もうダメかと思った。しかしすぐに子供たちのところに行った。息子は本棚を押さえていた。娘は布団を被っていた。

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集落のメイン道路に面したこの建物はさらにいつ倒壊してもおかしくない。危険な状態でもある

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屋根は薄い平石を並べている。これではモンスーン(雨季)にはどうにもならない

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建物にいくつものクラックが入りいつ崩れてもおかしくない。これでは危なくて住めない

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地震から1年半が経過。ようやく新築工事が進行。構造は積んだ石がベース。この木枠は窓の部分

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これはUSAIDが進めている耐震性のある復興住宅のモデルハウス。ネパールにあった家づくりの推進。分かりやすいパンフレットをもとに学校でも啓蒙活動が行われていた。
(注)USAID=US国際開発局 開発途上国の資金・技術援助を行う国務省管轄の政府組織で、アメリカの非軍事援助のひとつ。

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耐震性を重視したモデルハウス

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なんとか急場凌ぎで暮らしていた。

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尾根上の集落にはこんな水場がある。遠い水源からホースでセットされているが、ずいぶんと不通となっている個所を目にした。ここでは水汲みは女子供の辛い大仕事だ。

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このお家は崩れなかったが右手前には瓦礫があった。小屋が崩れたのだろう。

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崩壊して放置されていた

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左右の住宅が崩壊、ダディング郡の山間部では住宅の75%以上が全壊または半壊の状態で山間部の救援が遅れた。

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辛うじてこのバラックで暮らしていた

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どのお家にも衛星放送受信用のアンテナがあるわけではないが目立った

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ここも水場は使えない

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震源地はゴルカ地方(マグニチュード7.8)だが、震源に近いここの山間部の集落では、遅々として復興は進んでいない。2015.5.12にはM7.3の余震があった。
ここからさらに西の近くの震源ゴルカ地方の山間部は、もっと被害が大きかったのではないだろうか。

カトマンズ近郊でトレッキング③ カレリKalleri~

2016.12.05(月)

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カレリKalleri、泊めてもらった商店にて。右からガイドP氏、お店の女将さんとご主人、そして中学校教師と私

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お母さんがこの娘さんに27㎏(@1750NRS)のお米を背負わせ、さらにその上にも粉の袋をドスンと載せた。

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この3人は往復3時間かけて、尾根を越えてとなりのスナウラ バザールSunaura Bazarにお米などの食糧買い出しに行ったという。彼女ら3人はこれからムラバールMulabarの集落まで下ってゆく。

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スナウラ バザールSunaura Bazarにて アワヒエなどの雑穀たたき。ロキシー(焼酎)などの酒類向けだと思う。

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ネワールの愛らしい女の子

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なかなか端正な顔立ちの男の子

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ポリスキャンプ敷地にて Unicefのテント
(注)Unicefユニセフ:世界中の子供たちの命と健康を守るために活動する国連機関

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ここのお店で食べやすい焼きそばを作ってもらった。ネパールタイムなので、とても時間がかかる。ここではそういう時間が流れている。ここまではネワール族のエリア。

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山越えをしてチベット仏教を信仰するグルン族の村パトレPatleに入った。
緊急措置でFIDRが作った仮設の教室があった。ここダディング郡の68小中学校のうち、8割が損壊したという。

FIDRとは、Foundation for International Development Relief 公益財団法人 国際開発救援財団のことで

途上国の子供たちへの支援と緊急援助を行う国際協力NGO。


以下のアドレスがFIDR(ファイダー)のもので、ネパール大地震被害と緊急援助などの記事をこのHPでみることができる。
http://www.fidr.or.jp/activity/emergency_nepal.html

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これはネパール政府が再建した完成して間もない校舎の一つ。この敷地内でもシンガポールや韓国などの支援で他の校舎建築が進んでいた。工事が中断しているものもあった。

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ここはポーター君の村パトレPatle、ガイドP氏の親戚もいる。
ここの村に入る直前に長い警棒を持ったポリス2名に連行されている女性を見かけた。暴れてケガを負わせたためだという。
ここの集落にはガイドP氏の義叔父母宅で食事をとり、ツインベッドのあるテントで寝た。

2016年12月 4日 (日)

カトマンズ近郊でトレッキング② スンタールSuntar~

2016.12.04(日)

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泊めていただいたお家の長男の美人の若いお嫁さんとその子供。

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雲上の集落

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このように潰れている建物が随所にあった。

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ガネッシュヒマールを遠望

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段々畑、右端上に小学校の建物が見える。右側は地震で使えないという。生徒数115名


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菩提樹のまわりに集まってくれた

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小学校の女性教師


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この子は泊まった商店に遊びに来た。

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4匹の子犬と遊ぶ子供たち
ここには意地の悪い鶏冠の大きな雄鶏がいて、体の小さな雌鶏や子犬などを虐めていた。

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この方は集落に住む25歳の女性中学教師で、ネパール学を教えている。泊まった商店の別棟に間借りしていた。カーストは最上位のバフン(ブラーマン)。学校から帰宅したときは、赤い民族衣装を着ていた。

2016年12月 3日 (土)

カトマンズ近郊でレッキング①-2 結婚式の子供たちほか

2016.12.03(土)

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お母さんにお化粧してもらったのだと思う

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なかなかおしゃれな晴れ着だ。特に首まわりに注目

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とても明るい子だった

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7~8歳くらいか。前歯の乳歯が抜け、これから永久歯が生えてくるのだと思う。この子も明るい子だった

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なぜか泣いて涙がまだ乾いていない。とても可愛い女の子だった

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男の子もおしゃれ

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いい笑顔の親子

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お嫁さんカお婿さんの妹さんだと思う。多くの人にお祝いのティカをつけてもらいこんなに大きくなったのだと思う。このときは赤い民族衣装を着ていた。お祝いのロキシー(焼酎)をいただいた。

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話はできなかった

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親子に出会った。この子のおでこにはベチャっとティカ

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ご近所の農家のファミリー、清楚ないい感じだった。事情は分からず

カトマンズ近郊でトレッキング①-1 ガルチ~ 山間部の集落で結婚式

 2016.12.3

ネパールの人口は四方八方から様々な文化、言語をもって入り込んだ人々(民族)によって構成されている。このあたりは、ネパールのほぼ半数を構成するヒンドゥー教徒ネワール族のエリアで、パルパテ(山地の)ヒンドゥーといわれ、祖先はインド平原に侵入したイスラム教徒に追われ、ヒマラヤの南麓沿いに西から入ってきたアーリア系コーカソイドの人々の一派といわれている。

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ここガルチGalchはカトマンズから西のポカラに向かう主要道にある町で、車で約1時間で来れるところだ。ここからトレッキングする人はほとんどいない。そんな田舎町である。

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トリスリ川には長い吊り橋が架かっていた。正面の尾根上にスンタールSuntarという村がある。ここで結婚式が行われていると聞いた。対岸の麓に住む顔の広い元小学校の校長さんが案内してくれた。

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参加したいろんな方が下りてくる。会場には町から2時間近くかかって到着した。

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小学校の仮設教室、右奥にJICAの協力で作った石積みづくりの建物があったが、地震で使用不能となっていた。
移転先の広い用地整備も終わり、これから建築する校舎が完成次第移転するという。まだ更地だ。

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野外での結婚式、新郎新婦はここの小学校の教師同士

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真ん中に座っているのが花婿さん、その左が新婦さん

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村を挙げての一大イベントだ

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ネパールの踊りが始まった。背後に干してあるのはトウモロコシ、翌年の種トウモロコシだ

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とにかく長時間にわたり大盛況

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この日はこのあたりでは比較的大きな農家に泊まった。地震後に建てたという。2階はこれから造る。どこの家でも牛、山羊、ニワトリを飼っている。豚はいない。

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落花生をつまみにロキシー(焼酎)を飲んだ。どこの家でも自家製で持っている。

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このお家のご主人

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ご主人の可愛いお孫さん

2016年12月 1日 (木)

中部ネパールの旅④ カトマンズへ

20156.12.01(木)

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ホテルのレストランで朝食、そこにあったヒンドゥーのいろんなお面

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ポカラのツーリスト向けバスターミナル

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バスの中から スワヤンブナート

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アレンジをしてくれた新築の社長宅、「ローン返済がたいへんなんです」と言っていた

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日本食風、味噌汁がありがたい

2016年11月30日 (水)

中部ネパールの旅③ ポカラへ

2016.11.30(水)

この画像を編集 中部ネパール ダウラギリ主峰
投稿者

11月30日WED
前日は、ポカラから空路でジョムソンに入り、Kobangの丘の上にあるLodge Thasang Villageに泊まった。炬燵や1坪弱の日本式のお風呂も備えてある。敷地の前庭にはヘリポートもある。ご近所の集落には申し訳ないような施設である。部屋からもダウラギリ8,167mが眺められるが、屋上からの眺めがとても良い。飽きることがない。ポカラには四駆の車で戻った。

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ロッジの入口から奥にロッジが見える。背後にはダウラギリ主峰

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2個所のチェックポストを通過した

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タトパニ ここにはプール風の温泉がある

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これはタトパニの道路脇で見かけたイラクサ、葉についている細いトゲに触れるととんでもない痛みに襲われるので要注意。1993年にランタンの谷で用足し中にお尻に触れて飛び上がったことがある。ネパール最強の草である。

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昼食のダルバート

ポカラでは レイクサイドにある「HOTEL TREK-O-TEL」に泊まった。ここは有数のリゾート、夕食は近くの中華料理店に行った。

2016年11月29日 (火)

中部ネパールの旅② ジョムソンJomsomから

2016.11.28(火)

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朝一番、23分のフライトでジョムソンに入った。運賃は@12,000程度。アンナプルナとダウラギリが機上から迫力ある眺めが楽しめた。着陸したジョムソンJomsomは荒涼とした感じのところだ。

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ランドローバーでガタガタ道を行く。

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マルファーMarpha、荒涼とした地形にあってなかなか趣のあるところだ。風が強いところでこういう街並みになったのだろう。屋根にはマキが積まれている。マキの量が豊かさの象徴になるという。

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ダウラギリBCへの分岐があった。

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ロッジ タサン ビレッジ、この庭にヘリポートもあった。夜は湯たんぽを用意してくれた。

2016年11月28日 (月)

中部ネパールの旅① ポカラへ

2016.11.28MON

朝7時、ツーリストバスでカトマンズからポカラへのバスに乗った。足掛け8時間かかった。


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途中で昼食タイム  Blue Heanen Restaurant & Bar Benight-9,Malekhu(Karamkhola),Dhading

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ポカラに着いて時間があったので行ってみた。International Mountain Museum Pokahara  ポカラ山岳博物館
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河口慧海のコーナーがあった

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2015.4.25の大震災で地滑りなどで大きな被害を受けたLangTang村

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レイクサイドにある中華料理店

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