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6さいのばらーど

  • 6さいのばらーど
    ゆーゆ(井上あずみさんの長女7歳): 「NHKみんなのうた」より

お奨めの1冊

  • 斉藤惇夫作・薮内正幸画: 冒険者たち(ガンバと15ひきの仲間)

2017年11月22日 (水)

上野の森美術館「怖い絵展」

2017.11.21(火)快晴

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上野の森 美術館[

2017年11月20日 (月)

横浜中華街

2017.11.20(月)

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中華街大通り

10/16-11/2 本日夕方、ネパール アンナプルナ内院トレッキングの関係メンバーと横浜中華街に集合した。反省会みたいなものだ。

アレンジでお世話になった日本在住のネパール人女性Miss MTさんも遅れてやってきた。ネパールの一般事情だけでなく、いろんな質問にも答えてくれた。お金に関すること、他で聞いたことがあるが、「大まかに言ってネパールルピーの10倍が日本人の考える価値に相当すると考えていいですよ。500ルピー(邦貨換算550円)が5000円相当」とアドバイスしてくれた。
誠実なお人柄が伝わってくる方だと思っている。

入ったお店は有名高級店ではなく、中山通りから路地に入ったお店は「新錦江」、月曜のため空いていた。
いろいろ反省したことを噛みしめて耳を傾けた。ゆっくりできた。あっという間に3時間も経過してしまった。
帰宅は23時となった。

2017年11月19日 (日)

西丹沢 公開読図講習会

2017.11.19(日)快晴

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① 安全登山とコンパスの使い方について座学

② 実技の読図講習会で採用したコースは、西丹沢ビジターセンター➡西沢(650m)➡塩地窪沢の頭➡用木沢出合➡西丹沢ビジターセンターの周回コース。コンパクトな半日の地図読みコースとして、コンパスを使い地形図を読み取る講習会向き。

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下ノ権現沢の対面の急登の尾根から取り付く。標高910m付近で平坦地がありここで昼食。

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屈曲部を確認しながら塩地窪沢ノ頭1033mに達した

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用木沢出合いの林道に着地して完了

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センター前に集合

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山の会の会員さん10名、公募で参加されたみなさん14名が参加した

2017年11月18日 (土)

テレビで話題となったあったか食品自販機コーナー

2017.11.18(土)小雨のち曇り

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なぜかおみくじ自販機まであった

近くに相模原市立博物館があるので廻ってみた。時々企画展示を行っている。

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2017年11月15日 (水)

1936年インドヒマラヤ ナンダ・コート6867m初登頂

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ヒマラヤ初登頂―1936年のナンダ・コート(1986年11月10日 初版第1刷発行 筑摩書房)

著者 堀田弥一(明治42年 富山県生まれ)
昭和 7年 立教大学卒業
昭和11年 ナンダ・コート初登頂 ※この1936年の2月に2・26事件が起きた。
昭和29年 マナスル第二次登山隊隊長をつとめる。

カバーの写真はインド ガルワールヒマラヤの美しい双耳峰、ナンダ・デビィだと思う。

この本によると主峰の西峰7816mの初登頂は1936年8月29日、ナンダコートの登頂に先立つこと37日、ティルマンを含む英米混成隊が成功した。
東峰7434mは1939年、ポーランド隊により初登頂されたが、彼らが帰国した時、ドイツの電撃的侵略により故国がなくなったという悲報に接することになった。

1976年に日印合同隊による初縦走が成功した。ここときのメンバーは以下のとおり。
隊長=鹿野勝彦、マネージャー=梶正彦、隊員=長谷川良典、小原俊、重廣恒夫、寺本正史、加藤保夫、小林政志、伊丹紹泰、桐生恒治、磯野剛太、関章司、丸尾祐治、高見和成
インド側隊員=J・シン」以下6名

2017年11月12日 (日)

丹沢 大山南尾根ボッカ

2017.11.12(日)午前中快晴

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午前7時半、伊勢原駅前広場に集合、8時出発。参加者数はここ数年の新記録となった。山の会の会員さん17名、お子さん3名、若い女性2名の計22名。ここで計量、男性25k女性20kを基準に体調や年齢など考え調整可。私は15.5kとした。KNさんは20k、YDさん・SYさんは25kなど。
蓑毛分岐で昼食、予定どおり午後2時、約6時間で頂上に着いた。

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後列第3列の左から二人目のキャップを被った女性、40代半ばでお孫さんもいるヤングババさんは、20kを余裕をもって歩いていた。
午後3時近くになるとさすがにハイカーは減ってきた。

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大なべ2つ、ご褒美のキノコと里芋などが入った味噌汁が用意された。薬味のネギとユズがうれしい。

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下山後は伊勢原駅近くの「まゆ」で打ち上げとなった。
ここのスペースを占有できた。ザックはご覧のとおりコーナーに積み上げた。
最後まで子どもたちが一緒で大喜びだった。

「 まゆ」の紹介、知る人ぞ知る、デカ盛りで有名なお店らしい。 ⇒       http://eityun.jugem.jp/?eid=681

2017年11月10日 (金)

西北ネパール登山隊(2017.8.4~9.27)の会計のこと

2017.11.10(金)曇り時々晴れ

 2017.8.4~9/27まで行っていた。誰も手を挙げなかったので私が引き受けることとなった。ここ30年以上もお札を数えたこともなかった。元の勤務先ではそのような業務をしたことがないし簿記も知らない。700万円の予算規模で、自分たちで細かい出納も行う。クラシックな方法を採用する登山隊なので、できるだけ自分たちで業務をこなす。そうすることにより、より現地事情にも精通できる。登山隊スタッフ7名雇用、ラバ30頭確保と条件交渉など丸投げしないので、苦労はあるがコストも下げられる。今の世の中お金さえかければ代理店に丸投げもできる。しかし苦労してこその登山隊だ。その都度出金してゆく。力仕事でもある。
 ネパールルピーは10,000円が9,000ルピーに相当する。円からルピーへの両替はこんな感じで、今回ほとんど硬貨は見かけなかった。お札はとても汚れているものが多く、指にツバを付けながら多くの手アカがついたお札をカウントするのは愉快なことではない。札の種類が多く子ども銀行みたいだ。
 両替はタメルにはいっぱいある。空港では銀行の両替計算書を持っていないと1人につき1万ルピーまでしか両替してくれない(11/1の空港両替所では10,000ルピーを日本円10,000円と6US$に替えてくれた。空港のレートは悪い)。

 大規模登山隊の報告書では、現金を運び現金での支払い、その苦労が記されたものを見たことがある。資金は安全のため隊員に分散して持ってもらった。支払いは大から小まで会計の手を経て出金した。とにかく支払いの元帳にもれなく記載することを心がけた。ネパールの数字は読みにくいものがある。領収書記載の第1位は支払い時に切り捨てられるのが一般的。領収書はあるものないものいろいろ。ネパール文字は全く読めない。とにかくノートにもれなく記載すること。後からでは何がなんだかさっぱり分からなくなる。元帳となるノートと領収書は絶対に無くさないこと。失くさなかった。適度な緊張感が持続した。

 当登山隊の報告書は来年3月には印刷UPの予定。

 帰国してからの主な作業はまず、①台紙に日付け順に1件づつ整理してゆく。これはアンナプルナトレッキング出発までには完了しなかった。台紙には①支払(出金)日、②金額、③内容、④支払先、⑤摘要、⑥領収書の有無を記載、⑦領収書のあるものは台紙に貼り付ける 元帳と付け合わせしながら行う。そしてエクセルシートに整理した元帳として入力してゆく。ネパールルピー、日本円、US$別に作成した。あとは経費費目ごとにPCで計算させる。清算も並行して行い、B/K振り込みも行う。あと1件、保険会社からの入金をもって出納は締められる見込み。両替による円から見る損金は曲者でどう表現していいか分からない。誰かに教えてもらうことにする。
 入金と出金のとんでもない差額はでていないが、差異はできるだけ解明しておくに越したことはない。私の頭は千円単位でしか考えないし、概算で考える私にはとても不向きだ。途中での点検はMYさんがサポートしてくれた。とても感謝している。
 そんなわけで、次回の指名は不向きな私を避けてもらうのが隊のためだと思う。UPする報告書は、当然数字は掲載されるが、数字以外のことを報告してみたいと思っている。今月中には終えることができる。しっかり完成させたいと思っている。10/15-11/1にネパールにトレッキングに出て中断したので遅れてしまった。本日夜中に作業してはかどった。

 整理した帳票を改めてみてゆくとこの登山隊の動きがよみがえってくる。反省もできる。

 以下は抜粋した伝票。領収書のないものは元帳をもとに帰国後台紙に記載して帳票とした。以下はほんの一部である。

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 アレンジを担当してくれたボチボチトレック社打合せ時の昼食は、近くのしゃれたレストランに行く。Lasat Fridy の伝票。NRS÷0.9が大まかな邦貨換算額となる。

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 Simikot空港に空輸した登山隊荷物約1トン。これを車と人力で我々の登山基地となったチベッタンの民家に運んでもらった。メモを書いてもらった。はっきり言って言われるまま確認できないままに急ぎ出金したものもある。
 日当350または450Nルピー(500円相当)、車4,000Nルピーで計6,600Nルピー(7,300円相当)。ここには道路は通じていないのにピックアップ型の車両があった。分解して空輸して組み立てたと思う。

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 これはキャラバン中のキャンプ地のネパール語によるキャンプ代領収書。施設があるわけでもない。場所提供代という感じ。現地では貴重な現金収入となる。ネパール語のものは全く理解できない。隊員7名、スタッフ7名、カチャルドライバー9名、カチャル30頭がサリ・コーラに泊まった。2500Nルピー(2,800円相当)

2017年11月 5日 (日)

信州の川上村 岩根山荘にて

2017.11.05(日)快晴

11/3 午後3時すぎに淵野辺のストーンマジックで同乗する3人をピックアップ、都合により甲府盆地一宮御坂ICで降り、24時間温泉のカイセンに泊まることになった。

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11/4 早朝出発、7時半には川上村の岩根山荘に到着。受付を済ませ、労山全国連盟主催の行事に参加。

岩根山荘ではジムを会場にして、午前中は登り返し競技、午後には各地域連盟のセルフレスキューデモが行われた。大阪チームは無駄がなく実用的、そして兵庫のペアはオーソドックスで分かりやすかったと思う。
夕方は現役医師二人による講習会、夜は交流会となった。

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11/5 事情により早帰り。近隣は紅葉真っ盛り。川上村では山間部一面のカラマツの黄葉がとても美しかった。
帰路、渋滞がほとんどなく正午前にはJR古淵駅に着いた。 

【追記】
9/27に西ネパールから戻り、10/15に再びネパールに出てしまい、11/2朝帰国してやはり疲れが残っていた。
8-9月の西ネパールの残務が結構残っており今月は忙しい。いつの間にか秋が深まった。

2017年11月 2日 (木)

成田帰国 Ⅱ

2017.11.02(木)

11/1 13:15KTMからTG320⇒18:30BKK:22:30BKK、TG640から
11/2 ⇒NRT6:15到着、7:55発の町田行きバスに乗車
午前10時すぎには自宅に戻った。今回は遺失物はなし(前回8/8NPGJへのバス移動中にスマホを失くした)。事故もなし。

※10/28 大阪の山の会KKRのHTさんとカトマンズの宿で突然ニアミスしそうになった。結果、残念ながらすれ違いとなった。
※11/03 11/4-5信州川上村、岩根山荘で全国連盟の行事があり、11/3夕方から出かける。

カトマンズ盆地の古都バクタプル

2017.11.02(木)

10/31は昨年に続いて気に入っている古都パクタプルBhaktapurを訪れた。ローカルバスで行った。

バクタプルのバス停でここにお住まいの旅行ガイドのMrs.Kalpanaさんと落ち合い、この古都を案内してもらった。

カトマンズの東南東15kmにある盆地第3の都市、かつてここはチベットとインドとの交易基地であり、商人たちはここで出入国税を納めた。物資と文化の交流拠点であった。17世紀にはすでに9kmにおよぶ下水道システムを備え高い文化水準を誇ったという。しかし、ゴルカ王国の盆地支配とともに政治や経済の中心はカトマンズに移り、自由交易となったため税も入らず町は衰退の道をたどった。
工芸美術品の街パタンに比べ、ここは焼き物や織物など実用品を多く生産する街だ。濃厚な中世的雰囲気を感じることができる。
(山渓社、「カトマンドゥを歩く」より)


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ここはヒンズーの色彩が強い街、ヒンズー教寺院、

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これは仏教系の施設、子どもたちがたくさんいた。ここで修業しながら勉強している。

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カトマンズの中学生たちが見学にきていた。旧王宮エリア
この建物の2階がレストランになっていた。昼食で利用した。

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1427年に建造された旧王宮エリアの宮殿 「55窓の宮殿」

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ダッタトラヤ寺院の南側に隣接する建物、Pujari Mathでかつての僧院。1枚の木板から彫り上げた精巧なつくりの透かし彫り。「孔雀彫りの窓」 1793年に建てられた。

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帰国➡11/1タイ航空KTM13:55⇒BKK経由⇒11/2NRT6:15

【追記】
バクタプルBHAKTAPURのここの歴史保存地区の見学には保存協力金として、外国人はRS.1500(邦貨換算1,660円相当)を納める必要がある。その際、日本語版のパンフが配られる。以下にバクタプルを紹介しているその序文を引用(直訳みたいな原文のまま)してみた。

バクタプルは地方のネワール言語のKhwopaとして知られています。ネパールの文化的首都であるバクタプルの歴史は8世紀前半に遡ります。それは12世紀から15世紀末まで全ネパールの首都でした。18世紀前半までの間、先祖は主権国を城壁と多くの城門で囲み、都市を保護しました。飛ぶハトのような形をした都市は、海抜1401mに位置し、面積は6.88平方kmに広がります。バクタプルには約10万人が住み、その大部分は農業に従事しています。その他には、ビジネスマン、手工芸職人および公務員がいます。Juju(ヨーグルト)、Bhadgaule Top(黒い帽子)、Haku Patasi(赤い縁取りの黒いサリー)、陶器および手工芸品は、この街と同様にそれらの独自性で有名です。住民の大半はヒンズー教徒や仏教徒です。それは街に人々を結びつける宗教的な調和です。それらすべての祭りと文化活動は、十分かつ平等な熱意で挙行されています。

北部と南部の神話哲学、歴史芸術、建築、そして文化を融合したもの、それが前世紀から継承したバクタプルの遺産です。PagodaとSikhar様式寺院、ViharsとBahis(伝統的な仏教の寺院)、Lonha Hiti(石の噴水)、池、Pati、MathとSattal(公共避難所)、仏舎利塔、城門、陶器寺院、Dyochhens(ヒンズー教の神の住居)、Jarahns(伝統的な水タンク)、宮殿、芸術的民家や文化的・歴史的遺産は、古代都市の主要な遺跡です。これらの良く保存された遺産の重要性が認められ、バクタプルのDurbar広場は、西暦1979年に世界遺産に登録されました。

すべての賞および成功の信用は、この半世紀こに暮らしてきた人々、街の代表者、すべての関係者に与えられます。すべての訪問者は、数ステップごとに街の上品な芸術、建築および遺産に驚くでしょう。そしてその訪問は、この威厳ある街を再訪することを静かに求める一生の経験になるでしょう。この驚くべき都市は、世紀の古く素晴らしい芸術、建築および遺産をあなたに提供すえうだけでなく、様々なレストラン、ホテル、ホームステイ、そしてそれぞれの骨董品店において、その個性ある東洋のおもてなし、美味しいネワール料理、豪華な設備、良く修行されたネワール人による忘れがたい手工芸記念品をあなたに提供します。

バクタプルはネワール文化の活気ある深淵さを示す”生きた遺産”であり、”生きた博物館”です。ネワール地域の大きな祭り、彼らの生活様式、儀式、Daffas(祈祈祷団)、とGuthisと伝統舞踊団は、街の無形遺産に命を吹き込んでいます。Bisket Jatra(4月中旬
)、Gai Jatra(8月)、Dashain and Tihar(10月か11月)が観光できる主な祭りです。街を訪問して参拝、舞踊、音楽、儀式、伝統的なネワール衣装と生活様式を経験する間に誰もが、DaffasやBhajans(賛歌)のような文化活動を体験することができます。
これら生きた遺産は世代から世代へと切れ目のない鎖で何世紀もの間受け継がれて来ました。バクタプルの壮大なネワール遺産は全人類の文明の誇りです。

2017年10月29日 (日)

アンナプルナ内院トレッキング

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10/17 カトマンズからポカラへの移動中、遅い昼食に立ち寄った街道沿いの食堂前駐車場にコーヒーショップがあった。グルン族のハタチのお嬢さん

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10/18 トレッキング開始1日目、Nayapul(1070m)スタート

お祭りでここでは女の子たちが音楽に合わせて踊っていた。、橋を渡る通行人のおでこにティカを付けてくれる。
どこでも子どもたちの表情はお祭りの歓びにあふれていた。ゴレパニGhorepaniの広場ではお祭りの真っ最中、タダパニTadapaniのロッジでは夕食後、小さな子どもらが入ってきて今風のテンポの速い音楽に合わせ踊りを披露してくれた。

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10/24 アンナプルナBC(4130m)を目指す。正面は Annapuruna South(7219m)

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1950年、人類初の8000m峰の初登頂はフランス隊のエルゾークとラシュナルにより無酸素で成功したが、その代償は大きく、二人は合わせて30本の指に凍傷を負ったという。

1970年には、クリスボニントン隊長率いるイギリス隊がこの南壁を初登攀した。

このPhotoは夜明けのアンナプルナⅠ峰(8091m)南壁。
BCの標高が4130mなのでその標高差は約4000mに及ぶ大岩壁。実に大きい。

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10/25 帰路に立ち寄った温泉 Jhinu Danda(1780m)Hot Spring とてもぬるくて浴槽から出にくい温泉。必然的に長湯となる。ロッジからは川底の温泉まで往復で1時間近くかかる。

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10/27 Pathana地区からみたアンナプルナ南峰(1964年、京大山岳部の学生隊によって初登頂された)

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カトマンズ市内にて、アナ雪のリュックを背負い自家用車で通学する小学生

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Garden of Dreams   タメル地区にあって、高い塀に囲まれており、喧騒を忘れさせてくれる庭園だ。初めて入ってみた。ここはお勧め。入園料はRs.200

この庭園の公式HP(英文) ⇒  http://gardenofdreams.org.np/

2017年10月 1日 (日)

快晴の富士山

2017.10.01(日曜)

今月ネパールへ8人でトレッキングに行く予定で、前日夕方に御殿場のファミレス・ジョナサンに集合しミーティングを行った。
アンナプルナ内院(Sanctuary)BCを訪れることになっている。4,130mまで上るので今回富士山行きとなったもの。
インドのナンダ・デヴィの内院とともに以前より訪れてみたいと思っていたところだ。

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頂上直下にある鳥居

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富士宮口頂上の浅間大社奥宮

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火口を見るとツララができていた

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下山は御殿場コースから宝永山経由で駐車場に戻った。この稜線は強風が吹きまくっていた

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コケモモの実

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一気に秋になった感じ

帰路、みんなで御胎内温泉に立ち寄って汗を流した。

2017年9月27日 (水)

成田帰国 Ⅰ

2017.09.27(水)曇り

カトマンズから大韓航空機で韓国の仁川を経由して成田に12:30帰着。夕方50日ぶりに自宅に戻った。8/4~9/27の日程で西北ネパール(チベット国境に隣接したフムラ地区)に行っていた。

シミコットSimikotの北方にある目標としたNyalu Lek山群の西峰と主峰の中央稜には登れなかったが、主峰の北東3kmに位置する無名峰(GPSでは6,080mを計測)に登ることができた。

私たちのBC近くには2015年に同志社大山岳部現役学生隊が登ったAichyn6055mがあった。出発前に知り合いの同大OBからこの報告が掲載されている創部記念誌/DAC報告26号を送ってもらった。

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荷物は2個のダッフルバック(100ℓと80ℓで約48キロ)と機内持ち込みのOSPREYザック(37ℓ)。ダッフルバッグにはカトマンズでキャラバン用の青い袋を作ってもらいカッチャル(ラバ)に運んでもらった。土ほこりやバッグの損傷を防ぎ正解だった。

整理がついたらPhoto.などを日付を遡ってこのブログにあるカテゴリー「海外」ページに掲載してゆく予定。

(注)保育社の「原色家畜家禽図鑑」の解説によると、俗にいうラバとは雌ウマと雄ロバから生まれた種間雑種(Bastard)で外観はウマとロバの中間型、耳はウマより長く体質強健で粗食に耐え体格の割合に比べ負担力、持久力ともに大である。雄は生殖能力を欠くとのこと。
現地ではラバをカッチャルといい、ラバの馬方をカッチャルドライバーという。

2017年9月21日 (木)

ゴルカGORKHAを訪れた ⑩

201709.21 THU.小雨

ネパールで以前から気になっていたのがゴルカでグルン族のふるさとと云ったところだ。、9/16には西北ネパールの山旅からKTMに戻れたので、9/20-21に一人でローカルバスで行ってみた。カトマンズとポカラをつなぐ道路から北へ24㎞、標高1200mにある山間にある町だ。KTMから140kmの距離でNAYAバスセンターから朝9時発・往路6時間、翌日は午前11時30分発・復路8時間のバス旅であった。カトマンズ盆地が大渋滞であった。

かつて18世紀にカトマンズ盆地を制圧したゴルカ王朝の拠点でもあった。18世紀後半にはほぼ現在の国土を確保した。

初日は晴れでグルンのエリアに入ると山間のところでのどかなところだ。集落が山間に点在しているが、中心地には商店街が形成されていた。
大震災では震源が近くずいぶんと被害を受けたと説明してくれた。復興は比較的早かったようだ。

泊まったところは Cottage Resort「 Manaslu Bamboo Hotel」で部屋代はNrs.1500(¥1660相当)、ゴルカのバスセンター前にあるツーリストセンターの若い女性からサンセットがきれいだと強く勧められた。
経営者が待機しており、バイクの後ろに跨ってホテルに向かった。

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9/21は小雨で視界不良 大半が竹でできた建物、よってバンブーホテル。ゴルカは竹がよく採れるとのこと。

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広さは8畳くらい、シャワーはあるがお湯は出ないため沸かしてもらいバケツでもらった。

翌日は小雨のなか、Gorkha Museumに行ってみたが、木曜日は休館であったため、残念ながら中には入れなかった。銃を持った兵隊が警備していた。

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18世紀に使われた大砲だと思う。

19世紀にインドからネパールに侵攻した英国軍は山岳戦で撃退されてしまい、以後その勇猛さに目を付け第2次大戦では英軍の雇兵/グルカ兵としてビルマ戦線に投入された。
前の晩に一緒に飲んだ際、帰省していた経営者の弟さんはインド軍の傭兵になっていると言っていた。

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管理人さんのお子さん、スクールバスで小学校に通っていた。

2017年9月13日 (水)

西北ネパール フムラの山の民 ⑨

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麓の集落が権利を持つ入会地だと思う。広大な牧草地が広がる。家畜を放牧して数ケ月をここで過ごす家族。バターを採り、固形物は乾燥させチーズをつくる。前日食べた山羊はここから調達したという。@14,000ルピー(邦貨換算約15,500円)だった。高価でごちそうなのだ。若いお母さんに抱かれた女の子の髪の毛の編み方に注目。

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小屋の中にも入らせてもらった。この方たちはネパリー。

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2頭目の山羊、危険を感じてか逃げだしたが捉えられ、コック長から強烈なキックを浴び観念した様子。

夕食時に肉だけでなく血を混ぜた腸詰めも出たが、加熱不足で血の匂いがした。腸は固かった。
いったん口に入れたが飲み込んだ。

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84歳のおばあさん、いいお顔です。痛み止めの薬が欲しいとやってきた。目も病気なんだと言っていた。家族や家畜とともに広い草地が広がる入会地のここで夏を過ごしていた。ロー・コーラのキャンプ地にて

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キャンプ後方に見えた秀峰、Loh Kholaの盟主ともいえるロレ・チュリ6246m

2014年10月 神戸フムラ登山隊がここに入ったが、10月14日ベンガル湾に発生したサイクロンの影響で大量の降雪に見舞われ、C1からBCに避難したが、C1が雪崩に遭い登山を再開したが登攀装備を失い、10/20登山中止に至った。O隊長には因縁の山でもある。

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BCに至る前半のキャラバンと異なり、後半のキャラバンは変化に富んだルートだった。水源はチベット国境で美しい渓谷だ。

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上高地を巨大にした感じ

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最奥の常駐集落Djam(Tsang)。ここはかつてありがたくない名前で呼ばれたことがあった❔❔❔ 一方高価で売れる薬草ヤチャクンバ(冬虫夏草)の採取でも知られている。

(注) 冬虫夏草の解説 ⇒    http://mezase100.com/dictionary01

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珍しい機織りをみた。長いのだ。

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この村に建築中のチベット仏教寺院。宿願だった寺院建設だという。ここではバター茶を勧められいただいた。

建設の寄進もした。

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ここではチベット仏教のお寺を建築中とのことで寄らせてもらったところ、村人が集まって来た。建物だけでなく、ここに奉納する3体の仏像を製作中だった。

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立っているのは平屋根の上

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明るい人たち。バースコントロールはしていないので子だくさん。ここの集落までは電気が供給されている。BSアンテナからTVを見ることができる。しかし伝統的な生活習慣を守っている。

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見事な段々畑、伝統的な集落である。シコクビエの畑を上がって行った。

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段々畑の山腹にある集落Bargauにて

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囲まれてしまった。四方八方から子どもたちの手が伸びてきた。
後ろの建物は国外からの援助で建てられたものだが、使用されていなかった。

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翌日、ソバ畑の中を抜けてSimikotに向かった。

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Simikot近郊の伝統的な身なりの女性。大きな耳飾りのようなものはゴールドだと思う。夫に先立たれたり、離縁されたりしても生きてゆけるように体に身に着けるのだとTV番組で見たことがある。頬の白い粉は製粉作業中に付いたものでお化粧ではない。かつて国境を越えてやってきたチベッタンとは顔つきが異なるし、こういう飾りは付けない。(Simikot空港の東、直線距離で約2キロの地点にて)

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Simikotで基地にした民家の裏の家のお子さん、子だくさんのファミリーだった。

キャラバンを終え、みんなでビールやコーラを飲んで無事の下山を祝った。ここでもあのチベット産のラサビールは手に入るが、あまりにまずいので飲まない。

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Simikotで基地にしたお家の横の道で見かけた恰幅のよい中学校(UNICEF系)の女性教師、カーストは身なりからみても誇り高い最上級のバフン(ブラーマン)だと思う。

【追記】
以下は、1993年に山渓社から出版した後藤ふたばさんが綴った「チベットはお好き?」で、フムラ地区についての記述を引用しよう。24年も前の本だがそれほど変化はしていない。今は小型飛行機や観光ヘリが頻繁に運行されている。もちろん有視界飛行のため、視界不良のときは飛ばない。
1991年にチベットを旅行し、1992年には一人でフムラからチベット国境を越えてカイラスに行くことができたおんなの子の奮闘旅行記である。

 さて、西北ネパール・フムラについて少しだけお話ししよう。
 フムラというのは、行政区の名称である。ネパールの北西、中国と国境を接するあたりをさす。チベット高原を源とする大河、フムラ・カルナリがそこを貫いて流れる。もっとも近い中国国境まで20キロたらず。あたりにはサイパルヒマール、アピヒマールなど7000m級の山があるが、マイナーな山域である。
 ネパール西部は、とりたてて有名な山もなく開発が遅れている。最近旅行者に開放されたムスタンMusutangやドルポDolpoなども、フムラFumulaより東であるが、ネパール西部に位置する。秘境、それも最後の大秘境などと称される場所。手つかずの自然、太古からの変わらぬ人々の暮らし、といえば印象はいいが、いい悪いは抜きにして、やはり貧しい。
 行きにくく、行ってもなにもなく、また国境警備の面から、あまり行くことを歓迎されない場所。それがフムラHumlaである。そして地域の最大の村がシミコットSimikotである。
 シミコットへの交通機関は飛行機のみ、週二本が中央西部の南端、インド国境の街ネパールガンジーから飛ぶ。バスが通る陸路はない。ちなみにもっとも近いバス道路までは、土地の人の足で10日かかるという。地図を眺めると、あながち大ゲサでもないようだ。

(注)以上は、後藤ふたば著「チベットはお好き?」から抜粋した。

2017年9月10日 (日)

Phezan Kholaから見えた大岩壁 ⑧

9/10 

BCからの帰路、1日目のキャンプ地、Phezan Khola から見えた大岩壁。1枚岩のスラブが素晴らしい。先々こういう岩場を登るクライマーがでてきてもおかしくないと思う。
(注)地図ではチベット国境を水源とするNing Kholaと記載されているが、これは誤りでPhezan Kholaが正しい。

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川沿いのキャンプ地から右岸に見えた。剣岳の八つ峰に似ている。右の山稜が邪魔である。

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BCからの下山2日目、全容が見えてきた

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特に右側の大きな一枚岩に注目した

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さらに下降を続けると、チベット国境の標高5293mのChang Laに出ることができるChuwa Kholaと合流する。
このチベットへの国境ルートは行きで一部を利用した国境Yulsaへの街道が表街道とするとこちらは交易の裏街道とのこと。

2017年9月 5日 (火)

無名峰への登頂 ⑦

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ベースキャンプ

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Nyala Lek山群の主峰、中央峰6265mが左側、右側が西峰6150m

当初はこの2峰が目標だったが、西峰1本に絞ったが、クライミングシェルパらの偵察の結果、困難と判断して断念するに至った。BCから近い別の山群の谷の偵察に隊長らが行ってみたものの登れそうもなく、最終案としてNyala Lek 山群主峰の北東2キロに位置する無名峰6050mに登ることに決定した。

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上部氷河は左俣に入った。

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右のNyala Lek山群の主峰と西峰を眺めながら氷河上を上がってゆく。所々にクレバスあり、巻いたり飛び越えたりした。

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好天であった。

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主峰の中央稜はルートがはっきりしている。下部は右側がルートとなろう。

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当初目標の主峰中央稜、登攀自体は末端の処理がポイントとなろう。


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2017.09.05

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未明の4:30にハイキャンプを出発した。登頂を終え帰着したのは18:00を過ぎだった。
この写真では傾斜は感じられないが、滑落すればただではすまない。Fixed Ropeを張った。ユマールで上がったがここが最も辛かった。5500mを越え諦めようかと思ったが、アシスらに励まされ荷物も持ってもらい登行を続けることができた。ここで最も強かったのが49歳女性看護師のYMさんだった。彼女は大阪で週休5日のトレーニングを8か月続けた。
使用したFixed RopeはKorean製の漁網用撚りロープ、200m×3リール

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女性看護師さんら先行者は11:50に登頂した。私は12:30、全員が揃った。GPSの計測では6080mだった。取り付いてみなければ分からない未踏の頂は私たちにとってはたいへんな魅力だ。そのために来たのだ。歓びは大きい。

メンバー6人と登山スタッフ4名。クライミングシェルパらは、私たちが50m進むと彼らは200m進むという。こちらは70歳に近いロートル登山隊員。


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頂稜を下降する

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下降を続ける

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下りが長く感じられた

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標高5300mのハイキャンプ

【付記】

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この本は、下山して9/18にタメルの本屋さんで見つけてRs.1990で購入した写真集。
タイトルは、HUMLA、 サブタイトルは、Journey into Hidden Shangri-La、Peaple-Culture-Landscape-Wildlife、撮影は、Neresh Kusi & Geraldine Werhahn 
発行年月日は不明。二人のカメラマンはこの谷で表紙写真を撮影した。 

私たちのベースキャンプはこの広いU字谷奥の氷河舌端近くの標高4800m付近に設けた。

2017年8月16日 (水)

西北ネパール フムラの子どもたち ⑥

BCまでのキャラバン中に出会った子どもたち

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8/12 キャラバンスタート、Simikotの町はずれで見かけた愛嬌のいい女の子

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8/13 実はこの男の子と言葉は通じなかったが、お腹にある傷を見せてくれた。穴が開いていた。厳しい表情をしていた。治療を受けたいという気持ちが伝わってきたが、私たちにはどうすることもできなかった。集落の位置は分かっている。

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8/13 キャラバン1日目のキャンプ地、Dhanaporiで最初にやってきた女の子

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8/13 夕方やってきた子どもたち

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8/14

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8/14 仲のよい兄と妹の二人。お母さんはこの街道でバッテイ(茶店)をやっていた

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8/15 地図にはSallikadhとあった分岐地点。母親とここのバッティにいたチベッタンの男の子

ここから左の道が、国境のネパール側のYulsa(Hilsa) を経て、Kailashに至る古くからのチベットとの交易の街道。右はLimi Valley Trekの道で、Salli Kholaを経て標高5000mのNyalu Laの峠を越える。驚いたことにこの右のルートは中国の手により道路が作られていた。国境まで通じているという。もちろんこの道路はダイナマイトや大型ブルドーザーで荒っぽく作ったらしく、車高の高い大型のトラックなどでないと通行は無理だと思う。キャタピラーの痕も残っていた。中国は軍用車両などでいつでも入ってくることが可能だ。まことにもって驚いた。
大国の中国とインドにはさまれて援助に頼らざるを得ない弱小国ネパール政府の立場は微妙だ。かつしたたかかもしれない。

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8/16 Nalu La 5000mほどの峠越え手前のキャンプ地。ここには夏期に放牧に来ている家族のお子さん。チベッタンの顔だ。右の子の髪の毛に注目!
ここは広い草地が広がり、入会地となっており10家族くらい来ているようだ。夕方になると牛がカランカランとのどかに鈴を鳴らして戻ってきた。
ここにはガソリンスタンドで埋設しているような大きな軽油タンクが放置されていた。道路工事で使われたものだろう。

2017年8月15日 (火)

Salli Kholaの大岩壁 ⑤

8/15-16に岩壁の下を通過した。その際に撮ってみた。バックキャラバンの9/10-11で見かけた大岩壁はもっとすごかった。

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